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 またある時は、障害者採用枠で働いた会社に寮がないことに気づき寮を建てようと奔走したり、知り合った女性が飲み屋で監禁されているという妄想を抱き、夜中に助け出そうとガラスを割って侵入したこともあるという。そうした問題行動が警察に通報され医療保護入院したこともあった。

「あんな子は死んでしまえばいいんだ」

 お兄さんが何か事件を起こすたび、斎藤さんが後始末をしてきた。購入した高額商品のキャンセルや、迷惑をかけた人への謝罪、関係各所への手続きなど、その作業量は分厚いファイルが1冊できるほどだったという。

 一方で、母親は病気のお兄さんを不憫に思ってか、事件を起こして入院したあとも、退院すれば実家に迎え入れ、食事や洗濯、掃除などあらゆることで彼を支えてきた。

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お兄さんと母親が暮らしていた家。キッチンの棚からは認知症の母親が買い込んだ食品が大量に出てきた(写真:取材者提供)

「私も結婚して実家を離れてからは、兄の不始末はすべて両親に任せていました。だから自分が口出しすることはないと思っていたのですが、一方で兄が甘やかされて成長していない、反省していないという問題は感じていました」

 それから月日が経ち、2017年にお兄さんは再び躁状態に。そこで斎藤さんに大きな不安がのしかかる。彼が風俗店で出会った中国人女性に騙されそうになったのだ。当時、世間では家の権利書や銀行口座の名義を変更させ、大金を奪うという結婚詐欺が横行していた。

「このときも精神科に医療保護入院になりました。もし今後また兄の病気が再発し浪費癖がはじまると、実家の財産にも危険がおよぶと思って、母と話して遺言書を書いてもらうことにしました。すでに父は亡くなっていましたから、母の財産を守る意図もありました。母の持っていた複数の口座を整理し、私が遺産の管理人として、いつの日か財産を平等に分配する内容で母の公正証書・遺言書を作ることにしました」

 当時、斎藤さんは母親から思いがけない言葉を聞いている。

「こんな騒ぎを起こされて大変な思いをした。あんな子は死んでしまえばいいんだ。もう一緒には暮らしたくない」

 その言葉が本心かどうかは、認知症が進んでしまった今は確かめることはできない。しかし斎藤さんは、「母がそんなことを言うなんて」と切なくなったという。それをきっかけに母親との同居を決心。遺言書の作成と並行して彼女を自身の家に招き入れた。