昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

脱サラしたラッパー・DOTAMAが語る“ヒップホップ”と人生。メガネにスーツの格好を続ける理由

ラッパー・DOTAMAインタビュー

2021/12/07

 メガネをかけ、スーツ姿でラップをする栃木県出身ラッパーのDOTAMAさん。2017年には、ULTIMATE MC BATTLEで、決勝で再々延長までもつれた末、悲願の初優勝を飾りました。

 そんなDOTAMAさんは、日の目を見るまで、10年間ホームセンターで働きながら音楽活動をしていたという。教員一家に生まれ、勉強に励んできた中で、ラップと出会い、ラッパーとして生きる人生を選んだDOTAMAさんに当時の話を詳しく聞いた。

DOTAMA

厳しめの田舎の家で育った

——DOTAMAさんといえば、真面目という印象を持つ方も多いですが、小さい頃はどんな少年だったのでしょうか?

DOTAMA 自分で言うのも変ですが普通だったと思います(笑)。両親の言うことをそれなりに聞いて、真面目な方ではあったんじゃないかと。僕の家は教員一家で、父も母も祖父も教員で、曽祖父は、僕が通ってた小学校の校長先生でした。そういったちょっと厳しめの田舎の家で育ったので、真面目でしたね。むしろ真面目すぎて融通が利かないくらいでした。

 

——音楽は小さい頃から好きだったんですか? 

DOTAMA 好きでしたね。小さい頃からテレビの音楽番組をよく見ていたし、僕が思春期の頃は、CDが何百万枚も売れていた時代だったので、その週発売されたCDを聴いていると、学校でも友達との話題が増えるというか。CD屋さんのレンタルにもよく通っていました。子供の時分なので不勉強でしたが、両親に連れて行ってもらった市立図書館でのクラシックCDだったり、色んなものを分け隔てなく聴いていましたね。

無我夢中で作ったデモテープを先生に提出

——そして中学生の時にヒップホップに出会ったわけですよね。

DOTAMA そうです。すぐに夢中になりました。中学生の時に音楽の授業で、自作のオリジナル楽曲を作って提出しなさいという課題があったんです。他のみんなはギターを弾いたり、歌を歌ってみたり、女の子のグループは合唱したりしていたんですけど、そんな中で僕は幼馴染とラップをしようと決めていて。でも当時、スマホもパソコンもなければ、マイクを買うお金もなかったので、自宅にあるステレオコンポの出力端子を入力端子に差し替えて、スピーカーに顔を近づけてレコーディングしました。無我夢中で作ったデモテープを先生に提出したんです。

 

——先生の反応はどうでしたか?

DOTAMA 厳しい先生だったので、怒られるかと戦々恐々としていたのですが、渡すと「ふーん」という感じで。そっけないなと思いつつも、厳格な方だったので、これは意外に気に入ってもらえたんじゃないか? と勝手に手応えを感じてはしゃいでいました(笑)。

——そのあたりから、ヒップホップの道に進みたいという思いがあったんですか。

DOTAMA 当時は何も考えてなかったです。教員一家で、3兄弟の長男で、自然と「学業に打ち込みなさい」という空気の家だったので。勉強して大学に進学して就職するんだろうなあとぼんやり思っていました。