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“一発長打”で愛された大島康徳が死の直前に後輩へ宛てた知られざるメッセージ「少し厳しいことを言いますね…」

『振りきった、生ききった「一発長打の大島くん」の負くっか人生』より #2

2021/10/16
note

 やるからには一番を目指す。圧勝、完勝で頂点に立つ。それが野球におけるシンプルな目標なんです。そういう気概を持ち続けて、上への階段を上っていかないと、勝てません。そこの思い違いをしてほしくないんです。

新聞も甘えを許さない

 例えば、2017年から4年連続で日本一になったソフトバンクをみてください。どこがきてもかなわないくらいのチームだったじゃないですか。古くはV9時代の巨人、80年代から90年代の西武。彼らは一打席、一つのゴロ、一つの走塁、一つの送球について、危機感を持って全員がやっている。そういう選手がこれから何人出てくるか。何人集まってくるかですよ。

 もちろん、選手だけではそうなることはできません。日本一になるんだという思いをフロントと共有するんです。

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 そして、新聞も甘えを許さない。

 新聞が紙面で手放しで選手を褒めれば、読んでいる選手は自分をスター選手だと勘違いしますからね。チーム、フロント、新聞社がそこをシビアにやれるようになったときに、常勝というものが付いてくると思います。期待しています!

忘れ上手

 さて、ここからは僕の人生訓をいくつか紹介することにしましょう。

 僕は26年間、プロ野球の世界で戦ってきました。努力を重ねても、実るときもあれば、裏切られることもありました。だからでしょうか。世の中、できるものしかできない、なるようにしかならないだろうと思っています。

大島康徳氏 ©文藝春秋

 生きていて、自分でコントロールできることってそんなにないと思うんですよ。だったら、流れる雲のごとく、流れる川のごとく、そのときそのときを生きる。それが極意だと思うんです。

 僕はよく言うんです。「究極は忘れることだ」って。負けたら悔しいですよ。打てなかったら自分を責めます。でも、球場から家に戻る間に忘れる。一晩寝たらすっかり忘れる。それができる人は強いと思っています。

 忘れろといっても人はなかなか忘れられません。あのとき、ああしておけば。何であんな間違いをしたのだろう。ずっと頭の中でグルグル考えます。

 でも、間違えない人なんていないんです。そして、いつまでもそこにいたって仕方がないんです。無理にでも忘れて次にいく。それが人生なんです。

 見逃し三振した打者は次の打席で初球を必ず振るんですね。これはバッター心理ですが、それでいいんです。学校ではよく考えろと教えますが、時には深く考えずに行動することも必要。ホラも吹くし、空から元気を出す。失敗にとらわれちゃいけないよね。そう言いたいのです。