カーテンを開けると、上半身をあらわにした19歳の山口百恵が…
アルバムのジャケット写真を撮影したのは篠山紀信氏。山口百恵の代名詞「時代と寝た女」の考案者である。
「あるスタジオで、隅にカーテンを引いてその空間のなかで撮影をしていたんです。篠山さんの『もっとグイっと! 挑んで!』なんて声が聞こえるものだから、うまくやっているかなと思ってカーテンを開けて覗いてみたんですね」
どうですか、うまくやってますか――酒井さんがカーテンをサッと開けると、そこには衣服を脱ぎ捨て上半身をすべてあらわにした19歳の山口百恵が、篠山氏のカメラに「挑んで」いる真っ最中だった。
「凄まじい集中でした」
酒井さんがため息をついた。
「こっちは息が止まるかと思いましたが、彼女は微動だにしなかったですよ。篠山さんも撮影を中断することなく、シャッター音は止まりませんでした。私は黙って瞬時にカーテンを閉じましたが、ヌード撮影とは聞いていないんですよ。どんな女優さんでも心を開かせる篠山さんの手腕もあったのでしょうが、まさか百恵さんを脱がすとは思わなかった。自分が信じた人には絶対的な信頼を寄せ、すべてを委ねる。それができる人だったからこそ、百恵さんは大きく成長することができたんでしょうね」
山口百恵との出会いは「30年に1度の幸運」
1979年、山口百恵は俳優・三浦友和との交際を宣言し、1980年に結婚、芸能界引退を表明した。実質的に最後の歌となった『一恵』(いちえ)は、山口百恵自身(横須賀恵名義)が作詞を担当している。
「歌は<あなたへの愛を両手に呟いた 私は女――>と締めくくられています。芸能界という、いわば虚構の世界から現実に戻るという彼女の意思表示ですね。大きくなりすぎた“山口百恵”という衣装を一度脱ぎ捨てるために、自らを“一恵”と名付けたのではないか。彼女の鮮やかなメッセージだったように思います」
酒井さんは、山口百恵との出会いを「30年に1度の幸運」と表現した。
「いい時代に山口百恵さんの才能と出会うことができて、それは私の人生をはかりしれないほど豊かなものにしてくれました。彼女は最愛の息子さんたちを芸能界に入れましたが、それは過去における人生の選択に、一抹の後悔もないからできることだと思うんですね」
酒井さんは泉下の人となったが、山口百恵の伝説はいまなお色褪せることはない。
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