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 常識的に考えればとうてい無理な相談であったが、酒井さんは孤独な天地真理のリクエストに応えた。孤児院への慰問は手配が間に合わなかったが、12月31日午後6時半、酒井さんは指定のレストランに駆けつけた。

「彼女は早くから私を待っていた様子で、すでに食べ終わった食事皿だけがテーブルの上に並んでいました。そのとき、南沙織がレコ大の歌唱賞を受賞したという連絡が入ったんです。何も知らない彼女はいつもどおり、天真爛漫な笑顔でした。忘れられないですね」

アーティストとしての天地真理に、心から拍手を送りたい

 2015年、ある週刊誌に天地真理の近況が報じられた。「老後破産」をテーマにした記事だったが、高齢者施設で暮らす63歳になった天地真理の老いた風貌は、往年の彼女を知るファンに残酷な印象を抱かせるものだった。

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近年は週刊誌で「老後破産」の特集で取材されていた天地 本人の公式HPより

「私は、彼女をあんな形で取材して欲しくないと思いました。容姿は変わっても、心はあの天真爛漫な天地真理のままなんですよ。胸が締め付けられるような思いがしてね……」

 酒井さんが力を込めて語った。

「国立音大の附属中学、高校でピアノと声楽を学んだ彼女の伸びやかな歌声は、他のアイドルと比べても確実に上位の実力がありました。確かに、純真過ぎた彼女が芸能界で活躍した期間は短かったかもしれません。しかし、いまでもファンの記憶にはあの歌声が残っているんです。私は、アーティストとしての彼女の功績に、心から拍手を送りたいと思います」

1970年代最大のアイドル、山口百恵

 酒井さんが手掛けたアーティストの「代表作」が山口百恵であることに異論はないだろう。

 1970年代最大のアイドルとして芸能界の頂点に君臨し、いまなお伝説的な人気を誇る山口百恵は1980年の芸能界引退以降、自身のイメージを見事に守り続けている。

1980年10月、武道館で行われた引退コンサートでの山口百恵 ©️文藝春秋

 デビューから引退までの8年間をともに駆け抜けた酒井さんと山口百恵は、22枚のアルバムをリリースしたが、そのなかで最大のセールスを記録したのが『曼珠沙華』(マンジューシャカ、1978年)だった。

 酒井さんは、デビュー前の山口百恵の印象についてこう表現した。

「普段は地味で、ちょっと暗いように見えるけれども、笑うと暗闇のなかでパッとマッチで火をつけたような、人の心をつかむ表情を見せるんですね。彼女の評価は当初、“花の中三トリオ”(山口百恵、桜田淳子、森昌子)のなかでもっとも低かったけれども、私はその表情に惚れ込んでしまったんです」