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「ステージから何度“落下”しても…」“60過ぎても歌って踊れる”田原俊彦の「今」を作った“25年前の決断”

2021/10/07
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「ワクチン2回打った?」「やっぱり高齢者が集まっているな」

〈田原さんは歌をやりたいわけですよね。歌にこだわっている。そのこだわりはすごい。でも、歌は歌、ドラマはドラマという考えでもいいと思うんですけど、なかなかあの人は頑固ですよね。本当は器用な人ですよ。芝居もできるし、バラエティもできる。もったいない〉(拙著『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』青弓社)

 思い返せば、田原は歌手以外に俳優という顔も持ち合わせていた。主演の『教師びんびん物語Ⅱ』(1989年)はフジの月9ドラマで初めて視聴率30%を超えた。この日のライブでは「ワクチン2回打った?」と聞いて、大勢の観客が手を上げると「やっぱり高齢者が集まってるな」と笑いを取っていた。テレビやラジオでは本人含め誰も得しない下ネタに走る傾向もあるが、バラエティ対応力がないわけではない。

 田原は「これしかできない」と自らを不器用のように称するが、厳密に言えば「これしかしない」と決めたのである。

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田原俊彦(2019年デビュー40周年ライブ) ©文藝春秋

「自分を改めて振り返ったとき、歌しかないんじゃないかと強く思った」

 ジャニーズ事務所独立から2年が経とうとする35歳目前、彼はこう述べている。

〈人気は低迷していると自ら話す。「ことし、ブレーク(人気再燃)するしかない」

 そのための選択肢はいくつかあった。たとえば役者。しかし―。「26歳から5年間、ドラマで主役をやり続けた。調子づいていたよね。でも、ドラマは視聴率競争に勝てる人だけが主役をとれる」。勝者であり続けなかったと理解していいのか。

「自分を改めて振り返ったとき、歌しかないんじゃないかと強く思った。自分の力だけでできることは歌うこと」〉(1996年2月20日・産経新聞夕刊 ※実際には26歳から32歳まで7年間主役)

田原俊彦(2019年デビュー40周年ライブ) ©文藝春秋

 30代に入ってから、田原主演の連続ドラマは全話平均視聴率が一度も12%を超えなかった。テレビ局が20%以上のヒット作を目指していた1990年代前半の話である。

 ただ、主演か脇役か不明だが、独立後もオファー自体はあった。〈テレビドラマの話はくるが、ちょっとし好があわないので断っている〉(1995年8月6日・日刊スポーツ)と選別していた様子が窺える。この後の役者業は映画、オリジナルビデオ『必殺始末人』(1997年、1998年)、2時間ドラマ『巡査びんびん物語』(1999年)、『教師びんびん物語スペシャル』(2000年、2001年)へ主演しただけだ。