生活感のなさがばれてしまう
番組ではB子さんが台所のシンクで皿を洗うシーンが登場する。リビングのテーブルにスーパーのトレイのポテトサラダ、牛肉コロッケ、弁当、ペットボトルのお茶などが映し出される。B子さん越しに窓際の植栽とテレビの映像。ところが、映像ではロングショットで部屋全体を見渡せるカットがない。
〈生活感のなさがばれてしまうことを、このスタッフは知っているからだろう〉と阿武野氏は書いている。
改めて自宅の場面に注目して番組を見てみると、B子さんが回転式の写真立てを手で回しながら最愛の娘の写真を愛おしそうに眺める場面などが出てくる。そして、「B子さんが大切にしてきた写真立てにはもうこれ以上、A子さんの思い出を飾ることはできない」というナレーションが添えられている。
また、B子さんが台所付近で洗い物をし、食卓テーブルにスーパーなどで購入したと思われる弁当を広げて食事をする場面では、次のようなナレーションがあった。
「B子さんは事件の後、自宅マンションを購入した。(中略)『お母さんに家を買ってあげたい』とA子さんはコツコツお金を貯めていたという。A子さんが犯人から命をかけて守ったのは母親のための貯金だった」
「娘が生きた証に買った自宅。A子さんの不在がB子さんをより苦しめた」
視聴者は、この部屋がB子さんの自宅ではないとは誰も思わないだろう。にもかかわらず、「再現」「セット」などといった、自宅以外の場所で撮影したことがわかるテロップは一切ない。
ニセの日常を演出することなど考えられない
〈「娘が命がけで守った」大切な家は、偽装したニセモノであっていいはずはない〉〈ニセの日常を演出することなど考えられない〉と阿武野氏は怒りを込めて綴っている。
阿武野氏は、このNHKの「セット」シーンについて放送批評の月刊誌などに書いたが、NHK側から反論が寄せられることはなかったという。〈個人的にも、組織的にも返答がないということは、黙認と考えるしかない〉と綴る阿武野氏。
〈NHKがこれまでの番組でも繰り返してきた常套手段なのではないか〉〈この番組のこのシーンも、セットだったのではないか〉と疑念をふくらませる。
2020年10月にNHKの研修教育を担当する外郭団体から、プロデューサー・ディレクター研修会の講師をしてほしいという依頼が阿武野氏に来た時に、阿武野氏はチャンスだと考えて「再現」とは何かについて『事件の涙』のスタッフも入れて議論することを提案したのだと明かしている。結局、提案は容れられず実現せずに終わったという。