文面を見る限り、阿武野氏も「ドキュメンタリーとは何か」について、構えることなく胸襟を開いて議論したいと主張しているように感じる。あえてこの問題を自分の著書に記した阿武野氏の真意もそこにあるのに違いない。
この著書にはいたるところに「ドキュメンタリー愛」と「テレビ愛」に溢れている。それゆえに、ときに自分の会社の同僚や上司、さらに同業者に対してもかなり手厳しい。
テレビが若者たちから「オワコン」として扱われている現在、もっと伝える側が互いに胸襟を開いて真剣に考えながら番組を制作していくべきだ。そうでなければ今後は視聴者から背を向けられて、もっと厳しい状況になるという阿武野氏の危機意識の表れなのだろう。
文春オンライン編集部を通じてNHKに『事件の涙』について問い合わせたところ、以下のような回答があった。
「撮影は、ご遺族のプライバシーに配慮し、合意のうえ、ご自宅以外の場所で行いました。再放送時は、ご遺族と協議のうえ、『実際の自宅ではありません』とお断りのテロップを入れました。
番組制作は、取材現場それぞれの状況を、総合的に判断したうえで行っています」
「自宅ではない」とテロップを入れてほしいと強くお願いした
阿武野氏に改めて経緯を詳しく尋ねたところ、B子さんは東海テレビの取材班に対して次のように話したと言う。
「番組を見た友人から『B子さんの自宅じゃなくって、変だったね』と言われました。NHKから再放送の話が電話で来たので、『自宅ではない』と明記することを放送の条件にしました。ディレクターは『できないと思うが、上司と相談します』と言って電話を切りました」
もしもB子さんが強く主張しなければ、NHKは、ウィークリーマンションのような場所に再現した“ウソの場所”をあたかも本物の自宅であるかのように放送し続けたことになる。
番組制作については素人であるB子さんからしてみれば、NHK側が「再現シーン」であるとことわった上で放送してくれると信頼して再現シーンの撮影に協力したのだろう。もしそれをきちんと説明していなかったのなら、クローズアップ現代の“出家詐欺”のときにBPOなどに厳しく指弾された教訓がNHK内でまったく生かされてなかったことになる。
NHKの回答文を読むと、NHK側が守ろうとしているのが、取材を受けたB子さんではなく、自分たちの身内ではないのかという疑惑が浮かぶ。番組の最後に「制作統括」として登場するのは「ワーキングプア」や「無縁社会」シリーズなどで放送業界では有名な制作者の名前だ。
阿武野氏は憤っている。「亡き娘の命を、無駄にしたくないという気持ちで動いている取材相手に撮影上の御都合主義を合意だの、協議だのというのは言語道断です」と疑問を投げかけている。
「私たちには『放送人としての道』、つまり放送倫理というものがあってしかるべきだと思うのです」。この言葉はNHKの側には届かないのだろうか。