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「再現」シーンなのに「再現」と明示しないのは放送倫理違反?

 阿武野氏がNHKの番組に感じた違和感は、筆者も共有する。一般的にドキュメンタリーを作る立場になると、できる限りのリアリティーある映像を番組内に映し出そうとする。それゆえ、実際には「再現」であっても「再現」とは明示したくないという心理が働いてしまう。

 それゆえに後から放送倫理が問われる事態になってしまうことも少なくない。2014年に放送されたNHK「クローズアップ現代」の『追跡“出家詐欺”~狙われる宗教法人~』をめぐり、いわゆる「やらせ」なのではないかという週刊文春の報道を受けて、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会が2015年11月に「重大な放送倫理違反があった」と結論づけた意見書には、近年の「視聴者の厳しい視線」を意識して以下のような記述がある。

NHK名古屋放送センタービル ©iStock.com

〈カメラの前でその相談を再現するのは、「事実の再現の枠をはみ出した、事実のねつ造につながるもの」ではなく、その場面をどのように撮影し編集するかは演出と編集の適切さの問題だというだけでよいのだろうか。報道番組を見る視聴者の視線はもっと厳しい。視聴者は、伝えられた情報の内容が事実と乖離し、そのような場面が出来上がる過程に番組制作者の関与があった場合には、番組に不信を抱く。その事実との乖離と制作者の関与が大きければ大きいほど番組への信頼は揺らぎ、やらせではないかとの指摘を受けることになる〉(2015(平成27)年11月6日 放送倫理検証委員会決定 第23号

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 この放送倫理検証委員会の決定文は、NHKが独自に公表した調査報告書やその判断基準になったガイドラインでの「『いわゆる「やらせ」』の概念は視聴者の一般的な感覚とは距離」があることを指摘。「もっと深刻な問題を演出や編集の不適切さにわい小化することになってはいないかとの疑問」を投げかけている。

「自宅の映像」はこのドキュメンタリーにおける「キモ」

 阿武野氏の指摘する「再現」シーンをこの放送倫理検証委員会の決定文にならって評価してみると、やはり「放送倫理」を問われかねないケースだったように思う。

 最近では、2019年の日本テレビの『世界の果てまでイッテQ!』の世界の祭り企画をめぐる問題で、もともとは現地に存在しない祭りが番組のためにセットされたことを明かさずに放送を繰り返していた点をBPO放送倫理検証委員会が「放送倫理違反があった」と判示したケースに照らしても、議論の余地があることは間違いない。

 阿武野氏が記しているように「自宅の映像」はこのドキュメンタリーで「キモ」の映像であったことは間違いない。それだけにそこになんらかの「セット」や「再現」が含まれていたのであれば、それを正直な形で明示するのが放送におけるフェアな表現というものだろう。

 それを明示しない表現でも「許される」と考えるのかどうか。それぞれの制作者や組織の「ドキュメンタリー観」や「テレビ観」に大きくかかわってくる。それだけに放送倫理違反かどうかを堅苦しく問うのではなく、視聴者と制作者が一緒になってドキュメンタリーやテレビという表現の可能性を議論する機会をつくることにつなげられればいいと思う。