ソープ行きは免れ、借金を肩代わりする店を探せということになりました。以前から何度もスカウトしてくれていた老舗の「ラ・ヴェール」の堤さんというミナミの黒服の帝王のような存在に相談することにしました。堤さんは物静かで温和で、事情を話したら引き受けてくれたのです。しかし、この面接を横で見ていた上原潤子ママが堤さんの離席中にわたしへ声をかけてきました。
「面接中よね。お店探してるなら私にも話をさせて。うちも新しい店をオープンするから。喫茶葡萄屋で待ってる」こう言って2万円を握らせてくれたのです。
ひとまず堤さんが肩代わりの話を引き受けてくれたので、ようやく5日ぶりにアクティブの軟禁から解放されました。
指定された喫茶葡萄屋へ行くと、2万円をくれたおばさんが待っていました。名前は上原潤子。彼女こそがわたしの運命を何度も何度も変えた女性でした。
「もう大丈夫。アクティブとは話をつけてきたから。お金も全額支払って、堤さんにも仁義を通してきたで」
この段階では所有権が変わっただけでしたが、潤子ママは、行き場のないわたしを自宅へ引き取ってくれたのでした。豪華な家具、清潔な部屋、お手伝いさん、温かいごはん、いい匂いのシャンプーに華やかな装身具と、かつてわたしがいた場所にあったすべてが潤子ママの家にありました。潤子ママとは、ここから彼女が亡くなるまで付いたり離れたり10年強の関わりとなりました。利用されたり、助けられたり、疑われたり、裏切られたりと色々ありましたが、この当時の出会いを恩に感じていたので、何があっても心底から憎むことはなかったですね。
連れていかれたビルには紫色の法衣に金色の袈裟をかけた男性が…
潤子ママはわたしという商品の借金を肩代わりしたものの、街の住人からの忠告でわたしが未成年と知ったようでした。それでも16、7くらいと見ていたらしく、子飼いにして、1年くらい遊ばせていればいいだろうという算段だったかと推察します。しかし、14歳では18歳になるまで丸々4年もあるのです。しかも、潤子ママにわたしの年齢を知らせたのは父のことを知っている人間でした。
「明日は金主に挨拶へ行くから」
そう言って連れて行かれたのが兎我野町にあった雑居ビルの一室でした。社長室に入ると、紫色の法衣に金色の袈裟をかけ、さらに西遊記の三蔵法師の頭巾のようなものを被った男性が、大きくて立派なデスクに腰掛けていたのです。坊主は寺にいるものと思っていたので面食らいました。