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「ああママ、ちょっと待っててね」

 関西弁ではありませんでした。電話中だったようで、わたしたちは声を出さずに、会釈で訪問の挨拶を済ませて客用の応接へと座りました。その男性は、その格好のままでティッシュとコンドームの経費がかかり過ぎだと部下らしき相手を詰っていました。電話が終わるとわたしを見て、

「なるほど、確かに上玉だな。だが店はダメだ。目立ちすぎる」

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 と潤子ママに言いました。わたしの説明は終わっていたようで、未成年ということは知っている様子でした。

「俺はね、伊藤というんだ。今では管長なんて呼ばれてるけどね。もともと川崎のソープランドのボーイ出身でここまで這い上がってきた。お客さんからもらうチップを貯めてね。頑張ったよ。良かったらまた俺の話を聞いてくれるかい?」

「分かりました」

 ここでは「分かりました」と言うのが正解でしたし、その圧力は感じていました。伊藤管長は当時四十前で、白髪混じりのスラッとしたロマンスグレーでしたから、嫌悪したり拒否する対象にはありませんでした。ただ、お寺の管長職にあるとはいえ、法衣の格好のままティッシュがコンドームがとやり取りするのは異様に感じましたし、それを着た姿で少女のわたしを口説くのも異常に思ったのでした。わたしが返事をすると、デスクの後ろに控えてあったバカでかい金庫を開け、潤子ママへ分厚い封筒を渡して面会は終了しました。この日の用件はこれだけだったのでした。

生島マリカ氏 撮影=中里吉秀

14歳で僧侶の愛人に

 数日後に伊藤管長から潤子ママへ連絡があって、マンションを買ったから会社へ鍵を取りに行くよう指示されました。

 事務員さんから住所が書いたメモと鍵を受け取りました。見ると潤子ママの自宅のすぐそばでした。住所にあったマンションを見に行くと、外壁がシックな煉瓦で設えてあり、エレベーターも2基ありました。ロビーは高い吹き抜けになっていて、あらゆるところに植え込みや花が飾ってあり、まるで高級ホテルのようでした。室内に入ると、新品のベッドやドレッサー、固定電話も用意されていました。未成年ですぐには使えないけれど、手放すには惜しい。その間は手元に置いて可愛がっておこうと考えたのかも知れません。最初に2人でしたデートらしいデートはホテルプラザの天ぷらを食べに行ったことです。食後はそのままホテルのスイートルームに連れられて裸になりました。わたしは大人っぽく見えていただろうし、体も充分に早熟していました。しかし、処女ではなかったとはいえまだ子どもだったし、積極的にセックスを楽しめるほどではありません。壮年の男にはつまらなかったと思います。それでも管長はわたしを腕に抱き、自分の苦労話をするのが常でした。

 きっとたくさんいた愛人のうちの1人だったと思いますが、どうして彼がわたしを可愛がって執着したのか分かりません。後の新聞報道では「14歳愛人 ロリコン管長」などの見出しがついたのですが、彼はロリコンというわけではなかったと思います。わたしは確かに14歳でした。しかし、わたしだったからそうなってしまっただけ。当事者が証言するのですから間違いないです。

【続きを読む】未成年淫行と売春斡旋の被害者となっていた「少女A」が振り返る…“14歳の愛人を囲っていたロリコンエロ坊主”の素顔