一度捕まったアリは体の自由を奪われ、あとはふらふらと死ぬまで徘徊する……。彼女らをゾンビのように仕立て上げる「寄生生物」の正体とは? サイエンスライターの大谷智通氏による新刊『眠れなくなるほどキモい生き物』(集英社インターナショナル、イラスト:猫将軍)の一部を抜粋。寄生生物「タイワンアリタケ」の生態に迫る。
「冬虫夏草」と呼ばれ、さまざまな薬効をもつ秘薬として珍重
地面を這いずったり空を飛んでいたりしたはずの虫が草片、つまりはキノコに変わり果てることがある。
古代中国の人は、その不思議な生き物を「虫草」と呼んだ。その正体は、生きた昆虫(クモやダニも含む)に寄生して数日から長い時には数年もかけてその体を蝕み、あげく殺して虫の体外にキノコ(大型の子実体)をつくる昆虫寄生菌類である。
有名なのは、チベット高原に生息するコウモリガ科のガ幼虫に寄生する種コルディセプス・シネンシス、和名トウチュウカソウだ。冬には土の中で蠢(うごめ)いていたガの幼虫が夏には草片になることから、「冬虫夏草」と呼ばれ、さまざまな薬効をもつ秘薬として漢方や薬膳料理で珍重されてきた。
本来、「冬虫夏草」といえばこのコルディセプス・シネンシスのことを指す。昆虫にキノコを発生させる菌類は世界で約580種、温暖で多湿な気候の日本ではそのうちの約300種が発見されていて、冬虫夏草菌または虫草菌と総称される。
ある種の冬虫夏草菌は特定の昆虫にしか寄生しない。つまり、寄生生物として宿主特異性が高いのだが、冬虫夏草菌がどのようにして宿主を識別しているのかはよくわかっていない。
アリを「ゾンビ」に仕立て上げるタイワンアリタケ
いずれにしても、キノコのつとめは第一に胞子をまき散らして繁殖することだ。それを最大の効率で行うために、宿主の行動を操るものすらいる。
科学者に「ゾンビアリ菌」と呼ばれるタイワンアリタケも、そのような冬虫夏草菌の一種である。
この菌が宿主とするのは、ダイクアリという熱帯雨林に生息するアリだ。ダイクアリは普段は林冠、つまりは樹木の上層部分にいるが、林冠の隙間を越えるために時々は林床にも降りてくる。このとき運が悪ければ、そこにタイワンアリタケの胞子が降り注ぐエリアが設置されていて、アリは胞子を浴びてしまう。
体表に付着した胞子が発芽して、酵素でアリの外骨格を穿ったとき、アリの命運は尽きたといえるだろう。アリの体内で菌糸体がどんどん増殖していき、頭の中では脳を囲むようになる。
菌が十分に増殖すると、アリは林冠にある巣から離れて酔っぱらいのように歩きまわるようになる。