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「100万円もってきて」将棋の渡辺明名人が、伊勢丹でファッション指南された20歳のころ

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中川大輔八段インタビュー #1

2021/10/22

翌朝9時15分まで続いた伝説の対局

「将棋には体力が必要」という中川大輔八段には、伝説的な対局がある。2004年度のB級1組順位戦の対行方尚史九段戦。1局目が持将棋。2局目が千日手。3局目に勝負が決したときは、翌日の午前9時15分になっていたという戦いである。

中川 あのとき私も行方さんも30代で若かったんですね。これが順位戦の2回戦でAクラスを目指すために負けられない対局でした。1局目、私は優勢だったんですが、彼の粘りが凄まじくて、お互い入玉して持将棋になったのが夜中の1時半くらいだったんです。

――夜中の1時半から指し直したわけですか。

中川 そこから30分くらい休憩してから対局再開ですが、このときはまだ「やるぞ」って感じでしたね。その2局目が終盤戦で、攻防ともに難しい局面になって千日手になった。私も打開したかったんだけど、打開すると負けちゃうんでね。彼も打開すると負けちゃう。それで千日手になったのが、朝の5時くらいだったかな。

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――朝の5時って、もう明るくなってきますよね。

中川 そう夜が明けてくるんですよ。順位戦は朝に始まって、だんだん夜が更けてくるものじゃないですか。暗くなって「夜戦」からが勝負って言われているんですよ。でも明るくなってくるという経験はないので、変な気分ですよね。鶏なんかも鳴いてるんですよ(笑)。

――3局目はどんな感じでした?

中川 これも優劣不明の将棋が続いていましたが、最後、行方さんに負かされたんですね。これが9時15分のこと。本当に疲れ果てていて、最初はスーツとか着てましたけど、そんなの脱いでね。行方さんはワイシャツ姿で、私なんかワイシャツも脱いで肌着になって将棋指してました。ベタベタしてこんなの着てられないと。

――こうなってくると本当に将棋は体力ですよね。

中川 3局目のときさすがに疲れてきてね。このとき人間が本当に倒れるとどうなるのかなというのを体験しましたね。こう腕を組んで目をつぶったときに、前にグーンと倒れるんですね。後ろには倒れない。これをぐっとこらえてね。体力の限界になると前に倒れますね。

対局後は二人で築地へ

――終わったあとはどんな感じですか?

中川 もう感想戦は、ほんの少しだけ。そもそも3局もやったから、どれをやったらいいかもわからないし。

――そうですね(笑)。

中川 それからタクシーに乗って築地に行ったんです。二人ともビールが飲みたくてね。でも千駄ヶ谷の店は、もう朝だからモーニングしかないでしょ。築地なら朝から飲める店がやってるじゃないですか。それでタクシーで築地行って、適当なところに入って刺身とかツマミながらビールを飲んだんです。

 

――このとき記録係だったのが当時奨励会員だった星野良生五段で、なんでも対局が終わったあと午後3時まで棋譜を書いていたそうですね。

中川 棋譜は手書きして提出で、間違えると書き直しになる。朦朧とするなか書いたのと、総手数も多いのでそんなになってしまったんですね。「後日提出します」といえばよかったのに、彼も真面目だからやりきった。彼も築地に一緒に連れていけばよかったな、かわいそうなことをしちゃったなと思っています。

 ちなみにこのときのことを語る星野先生の記事によれば、この対局が記録を取るようになって3局目のことで「こんな感じなのかな」と思ったと述べられていて、ちょっと笑ってしまった。

写真=平松一聖/文藝春秋

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