中川大輔八段へのインタビューの後編となる本稿では、入門の経緯から話を伺った。中川八段の師匠といえば、将棋連盟の会長も務めた米長邦雄永世棋聖である。
「誰が好きか?」「米長九段です」
――米長先生に弟子入りされた経緯から教えてください。
中川 私は宮城県の仙台市出身ですが、私のアマチュア時代の師匠に、プロになりたいので師匠をどうすればいいのか相談したんです。すると「自分が好きな棋士の弟子になるのが修業に身が入るだろう」と言われて、「誰が好きか?」と聞かれたので「米長九段です」と答えたら「わかった」と。その場で電話をされたんですよ。
――いきなり?(笑)
中川 そうですよ。そして、うちの道場に来ている子が弟子になりたいと言っているのでお願いできないでしょうかと伝えられたら「うちに来てください。将棋と人となりを見ますから」と言われまして。それで両親と先生のお宅に伺ったのが中学2年の夏でしたね。
――それで、米長先生のところで対局をしたんですか?
中川 当時、米長先生のところに先崎さん(学九段)と林葉さん(直子元女流棋士)が内弟子として住み込みで修業をしていたんです。このときはもう昭和の終わりですが、二人は将棋界の最後の内弟子でした。大正とか昭和の初期は、師匠のところに住み込みでいろんなことを吸収するのが当たり前の時代でしたが、お二人が最後でしたね。そしてこのお二人と対局をしました。
――対局はどうでした?
中川 林葉さんに勝って先崎さんに負けたんですが、負けた林葉さんが青くなって「どうしよう」って顔をしているんですよ。すごいがっかりしてるから、練習将棋とはいえ、プロを本気で目指す人は負けるとこんなに落ち込むんだと驚いたんですが、あとで事前に一言あったことを聞きましてね。
――どのような?
中川 「今度、仙台から中川ってのが来るので対局させるけど、負けたほうを家から叩き出して、中川を内弟子にするからな」って言ったらしいんですよ。林葉さんは、米長先生の話を本気にしていたんですね。