四畳半、風呂なしアパートで始まった一人暮らし
こういった入門試験では、将棋の内容というよりも、盤の前に座っている姿勢を見ていたのではないかと、中川八段は語る。入門を許された後、奨励会試験に無事合格。中学を卒業すると、上京して一人暮らしを始めたという。
中川 一人暮らしを始めたのは、大塚の四畳半の風呂のないアパートでしたね。部屋には将棋の本と盤くらいしかありません。着るものなんて、奨励会に着ていく服と、そのへんを歩く服しかないですよ。
――食事は自炊ですか?
中川 そう。まだ15歳で、何もわからないままでしたが、これが当時のスタンダードだったんですよ。田舎にいる子は、中学を卒業すると一人で東京に住んで将棋の勉強するというのが普通だったんですよね。やることも、将棋会館行くか、仲間の家に行って練習将棋を指すか、一人で勉強するかしかない。ただ、東京には強いアマチュアの方もたくさんいますから、東京の人は恵まれているんですよ。だから田舎から出てきた人は、仲間意識がありましたよね。
――そして19歳のときにプロになられますが、これが今に通じる三段リーグの第1期でした。
中川 それまでは勝ち星昇段だったんですよ。13勝4敗か9連勝で四段に昇段。それがこの年からリーグ戦になって1着、2着が上がれるようになりました。お祝いには、米長先生からスーツをいただきましたね。お前たちにスーツを仕立てるから、生地を自分で選べって言われたのを覚えています。まだ19歳だったから、よくわからないまま選びましたね。
米長先生がアパートに…「最初、何の冗談かなと思いましたね」
この四段になったばかりの中川八段にとって思い出深いのが、師匠の米長先生が、アパートまで教えを請いに来たというエピソードだという。
中川 米長先生が、第39期王将戦(1989-1990)において、46歳で挑戦者になったんですよ。当時は、南芳一王将でしたが20代の若くて強い王将でした。米長先生は、年齢的にも下り坂でしたが「タイトルを取る」という決意が強かった。それで当時、最新と言われる形が僕の得意戦法だったんですが、それをマスターしたいので教えてくれとうちのアパートに来られたんですよ。
――米長先生がアパートに(笑)。
中川 下落合にある小さなアパートでね。最初「こちらから伺います」と言ったんですよ。でも俺が教わるから俺から行くと言って。最初、何の冗談かなと思いましたね。
――それでアパートで盤を挟まれたわけですか。
中川 そう。これが最新の形ですとやったんですが、タイトル戦では私が言ったのと全然ちがう形で戦っているんですよ。つまり最新形を米長流にアレンジしてタイトルを取られたんですが、あのときの将棋は、今、並べてみても力強く、46歳でよくぞこういう将棋をという感じはしますよね。あのとき46歳で若手王将を撃破したというのは、米長先生の経歴だと目立たないことですけど、すごいことですよね。