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初期の迷走に終止符を打った、生駒がセンターの「あの曲」

『君の名は希望』という、乃木坂46の初期の代表曲がある。AKB48の公式ライバル、という設定をつけて立ち上げられた乃木坂46は、能力の高いメンバーを揃えながら初期にはグループとしての方向性を定められずにいた。

『おいでシャンプー』の間奏でスカートをまくりあげる振り付けはファンから非難の声が上がり、プロデューサーの秋元康が「自分は反対した」とSNSでスタッフを叱りつけて弁解する事態に追い込まれた。

同じく初期の名曲として知られる『制服のマネキン』に続いてリリースされた『君の名は希望』は、そうした初期の暗中模索に終止符を打ち、グループのコンセプトを確立したシングルとして知られている。 

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学校で「透明人間」と呼ばれ孤立する少年が1人の少女に出会い、世界と自分の繋がりを取り戻していく、という歌詞は、一歩間違えれば女性アイドルが歌うにはあまりにあざといものになりかねない内容だ。だがそのストーリーに説得力をもたらしたのは、センターに立つ生駒里奈の存在だったと思う。 

2013年のデビュー1周年記念ライブ。デビュー曲「ぐるぐるカーテン」で突然センターに抜擢された

 生駒里奈が秋田時代のいじめ経験をメディアで語り、全国の少年少女にメッセージを送るようになるのはもっと先のことで、当時そのことはまだほとんど知られていなかったかもしれない。 

 だがそうした彼女の背景を知らない観客の目にも、生駒里奈は奇妙な陰影を感じさせるメンバーだった。非の打ち所がない整った顔立ちでアイドルグループのセンターに立ちながらなぜか不適応と孤独を感じさせる彼女は、誰が見ても白鳥であるはずなのに、同時に醜いアヒルの子でもあるような不思議な違和感を持って楽曲の顔になった。 

 秋元康の歌詞は、ナイーブな少年の「僕」という一人称のモノローグを「君」にあたるアイドルが歌うという矛盾を時にはらむ。だが、『君の名は希望』のセンターに立つ生駒里奈はアイドルという「君」でありながら、孤立した不適応な「僕」でもあるという主語と目的語を同時に成立させることが可能なメンバーだった。

 自分たちが何者であり、誰のために歌を歌うのかという、探し続けたグループのアイデンティティがその曲にはあった。それは乃木坂46というグループが単に美少女の選抜隊ではない、強烈で鮮明な「物語」を初めて手にしたシングルだったのではないかと思う。

 2015年末、初出場の紅白歌合戦で乃木坂46は『君の名は希望』を歌う。生駒里奈は当時のエッセイで『本番では、これまでの中で一番乃木坂らしさを印象付けたと思う曲を歌います』『メンバーも納得でした』と書いている。