喜怒哀楽の喜と楽をポップに歌いトップアイドルに君臨したAKBに対して「哀」、自分たちは孤独と希望を歌うグループなのだ、という鮮明な対立軸を打ちたてた乃木坂46からは、白石麻衣、西野七瀬、生田絵梨花といったメンバーたちが次々と個性を開花させ、グループは成功への階段を駆け上がっていく。
何年か前、乃木坂46のスタジアム公演から家路に着くファンたちの大群に駅のホームで遭遇したことがある。まるで優勝決定戦から凱旋するサポーターのように紫のグループカラーを身につけたファンの年齢層の若さ、そして女性ファン率の多さに圧倒されたものだ。乃木坂46は女性アイドル史に名を残す怪物グループに成長していった。
「教室に居場所がなかった。だから乃木坂46に入って驚いたのは…」
だがその国民的な成功の中で、生駒里奈は必ずしもグループの中心にいたわけではなかった。『君の名は希望』の世界観にリアリティを与えた生駒里奈の暗い陰影は、よりメジャーでポップになっていくグループの中で時に浮いた。
「秋田にいたころは学校が大嫌いで教室に居場所がなかった、だから乃木坂46に入って驚いたのは、私のことを悪く言うような子が1人もいなかったことです」と自著『立つ』の中で振り返るように、メンバーとトラブルがあったわけではない。
だがアイドルとしての生駒里奈は、グループの象徴であり、卒業まで一貫して人気のあるメンバーの1人ではあったが、どこかポップに振り切れない、「醜いアヒルの子」のように生々しくダークな感情を抱え続けていた。それは美しく青い海に流出する黒い原油のように時に彼女の表情に陰影を落とした。アイドルとしてポップに消費されるには、そのリアルで激しい感情が落とす影は過剰だったのかもしれない。
しかし、演劇の舞台に立つ生駒里奈を見ていて驚くのは、アイドル時代に不純物として浮き上がっていた彼女の複雑で激しい感情が、役者としての表現では見事に演技として昇華されていることだ。
俳優にとって感情は天然の地下資源のようなもので、演技はそれを採掘する技術に過ぎない。美しく善良で誰からも愛される性格であるが故に、黒く醜い感情が乏しい女の子もいる。演出家が叱咤したり、ここで本格的な演技をしなくてはと本人が必死になっても、即座に石油のように黒い感情が噴き出してくれるわけではないのだ。
生駒里奈はそうではなかった。出すまいと抑えても海底から湧き上がる原油のように、彼女の心の底には黒くドロドロとした感情の油田が眠っていた。演劇は石油プラントのように、虚構の中で彼女の感情を精製し、エネルギーに変えることができた。
10月には渋谷で『僕とメリーヴェルの7322個の愛』が上演された。松田凌と生駒里奈がそれぞれに一人舞台を演じるこの演劇は、『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』『TIGER&BUNNY』の脚本で知られる吉田恵里香が書き下ろしたSF作品だ。
それはもちろん、生駒里奈ひとりのために書かれた物語ではない。だが、孤独に閉ざされた場所と他者とのつながりを行き来する未来の寓話は、古き良き時代の名作SFの匂いを残しながら、同時に生駒里奈のこれまでの人生と重なる、脚本家から彼女への贈り物にも見えた。
16日土曜日の公演配信分のアフタートーク部分で、演出の毛利亘宏は生駒里奈との出会いの印象を「初めて見た時に飢えを感じた、1人で立っているように見えた」と振り返り、「その時に感じたものは今も変わらない」「演劇人になったなと思う」と目の前の彼女に語った。