来年のFIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会に向け、日本代表は去る8月31日、アジア最終予選B組でオーストラリアに勝ち、6大会連続6度目の本大会出場を決めている。
振り返れば、サッカー日本代表が初めてW杯の本大会出場を決めたのは、いまからちょうど20年前のきょう、1997(平成9)年11月16日のことだ。しかし、そこにいたるまでは苦闘の連続だった。アジア最終予選において、日本は9月28日の韓国戦で逆転負け、続く10月4日のカザフスタン戦では終了間際の失点で引き分けに終わり、監督の加茂周(57歳=当時、以下同)が更迭された。これを受けて急遽、コーチだった岡田武史(41歳)が昇格し、指揮をとることになる。それでも10月11日のウズベキスタン戦、同26日のUAE(アラブ首長国連邦)戦も引き分けとなり、残り2試合の段階でB組3位のままと、翌年のフランスでの本大会行きに黄信号が点滅する。UAE戦はホームである国立競技場での開催だったため、試合終了後、サポーターから激しいブーイングを受けた。これに奮起した選手たちは、このあと11月に入ると韓国、カザフスタンにあいついで勝利し、第3代表決定戦に望みをつなぐ。
アジア地区から残る3枚目の切符を賭け、日本がイランと争ったこの試合は、11月16日夜、マレーシア・ジョホールバルのラーキン競技場で行われた。前半39分にFW中山雅史(30歳)が先制ゴールを決めたが、後半の序盤で2点を奪われ、いったんは逆転された。しかし後半31分、FWの三浦知良(30歳)から交代した城彰二(22歳)が起死回生の同点ゴールを奪い、延長戦に持ち込む。勝負を決したのは、最終予選では一度も出番のなかったFWの岡野雅行(25歳)である。岡野は延長戦で北澤豪(29歳)に代わって起用され、PK戦突入かと思われた後半13分、MF中田英寿(20歳)のシュートをイランのGKがはじいたところを、ゴールに押し込んだ。こうして日本は1954年に初めてW杯予選に挑戦して以来、44年目にして悲願を達成したのである。この勝利は「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれ、いまなお語り継がれている。
昨年9月からのアジア最終予選で、日本代表は通算6勝2分け2敗の勝ち点20の戦績で、B組を首位で突破した。1993年の最終予選における「ドーハの悲劇」から、その4年後に本大会初出場を決めるまでの道のりを思えば、日本サッカーもここまで成長したというべきだろうか。