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 そして、その狙いは、「百歳以前」の現実を挟むことによって、単なる老人の思い出話とは違うものを作り出せるのではないか、と考えて書いている次第である。

 このような形で執筆作業をやっていると、二人とも結構忙しい。

 彼も書き始めたものを早く先へ進めたいだろうし、私の方は彼の口述を早くプリントしておきたいという気になる。ちょっと油断してまとめて書こうなんて思って溜めると、分からない箇所があちこち出てくる。

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 しかし、いずれにしても、これをやっている間は、それなりの充実感があるような気がする。彼も同じではないかと。これは私の勝手な想像だが。

 出来上がって本になっても、彼は読むことができない。前著『夕陽ヶ丘』でやったように、全編を私が読んでCDに録音し、彼はそのCDで聴くのがゴールだが、今はそのゴールを考えているのではなく、つくるプロセスに全力投球中である。

 このような執筆をやっていることは、二人にとって、生きている目標を持てていることになっているのではないか。

 勿論、二人の電話の会話は、執筆作業ばかりではない。時事問題の話もするし、天下国家も論ずるし、お互いの家族のことを話すこともあるし、また共通の友人の消息についての噂話もする。それにも増して、九十一年の思い出話は尽きない。毎日のように電話していることは、お互いのストレス解消にもなっているような気がする。

 令和三年一月十七日、あの阪神・淡路の大震災の日に、テレビが映し出す当時の惨状と、「がんばろう」の鎮魂の行事を見ながら、私は、自身の体験もさることながら、ある一つのことを思い出していた。

 オンリイ・イエスタデイ(つい昨日)のことのように思えるのに実はもう二十六年も経っているのが信じられない思いなのだが、あの大震災の後、友人を神戸西灘の避難所に訪ね、連れだって神戸三宮駅前へ出たとき、彼と交わした会話を思い出した。令和三年の今日はじめて思い出したわけではなく、ことあるごとに思い出すのだった。