これは、今日の徳岡君との電話会話の一節である。
彼は、眼がどんどん悪くなってしまって、この頃はもう字を読むことは到底無理になってしまっているので、口述筆記で原稿を書くようになっている。
カセット・レコーダーで録音できればいいのだが、彼の視力ではその機器を操作できない。
私が彼の家へ行けばいいのだが、同じ神奈川県に住むといっても、私の住む西神奈川の小都市から横浜の彼の家までは、バスで四十分ぐらい乗って、そこから電車で、それも一か所乗換せねばならず、今の私には独りでいくのは到底無理で(総まとめをするような大事な時には、タクシーで行く手もあるが)、彼の口述を電話で受けて、私が筆記する形で、彼の原稿作成を手助けしている。
新聞記者や雑誌記者の経験でもあれば、電話送稿を受けたり、対談を記事にしたりしたことがあるだろうが、まったくその経験のない私なので、最近ようやく少し慣れてきたが、それでも録音したものを再生したり、止めたりを繰り返しながら彼の文章として書き留めるようにしている。
彼が不自由だろうと思うのは、書いた分を読むことができないから流れが掴みにくいことで、そこで、あまり溜めずに書いた分を私が電話で読んで、次を彼にしゃべってもらうようにしている。
また、年月日や固有名詞など、彼は記憶以外には調べることができない。そこで間違ってはいけない人名、地名、年月日などのウラを取るのも私の分担で、ネットで調べたり、年表で確認したりして彼の文章に入れている。毎日二、三回は電話でやり取りしながら進めている。
彼の原稿を筆にするその合間に、私は自分のチャプターを書いている。
現在九十一歳、このトシの現実を書いて、彼のチャプターの間に挟むことに意義があるのかどうかは分からないのだが、やるだけやって読者諸兄姉のご批判に任せようと思っている。
私が思いついて彼と話して決めたことなのだが、日本人が今ほど長寿ではなかったせいもあるが、九十を超えた男が九十歳以上の日常を書いたものに思い当たらない。それを書いておくことも何らかの意義があるのではないか。