「雪の子」の解説でも触れましたが、萩尾先生の作品にはトーマス・マンやヘルマン・ヘッセを思わせるような文学的な香りが漂っていました。もともと萩尾先生はアイザック・アシモフやレイ・ブラッドベリなどのSF小説が好きだったのですが、萩尾先生と竹宮先生のマネージャー的な存在だった「増山のりえ」さんの影響で、ドイツ文学に触れるようになったと言われています。
萩尾先生と竹宮先生は、1970年から72年までの二年にわたり、東京都練馬区南大泉の借家で同居生活をしていました。二人の住む借家には、のちに日本の少女漫画界をリードする女性漫画家たちが数多く集い、やがて「大泉サロン」と呼ばれるようになります。
その萩尾先生と竹宮先生の縁を結んだのが、萩尾先生のペンフレンドだった増山さんです。増山さんは、漫画はもちろん文学や美術、音楽にも造詣の深い方で、1970年代の文学少女にとって必読書であるヘッセの小説を萩尾先生に勧めたのも彼女でした。そうした増山さんの影響により、萩尾先生は「11月のギムナジウム」のような世界観を生み出すことができたのだと思います。
「大泉サロン」時代の武勇伝
先ほども触れましたが、萩尾先生・竹宮先生を中心とした「大泉サロン」は、「女性版トキワ荘」と呼ぶべき女性漫画家たちの交流の場でした。第一章で述べたように、「トキワ荘」は手塚治虫先生をはじめ、藤子・F・不二雄先生、藤子不二雄Ⓐ先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生など、昭和を代表する漫画家が数多く暮らしていたことで知られる伝説のアパートです。1982年まで東京都豊島区南長崎に実在した木造二階建てのアパートで、当時すでに漫画家を目指す若者にとって憧れの場所となっていました。
お二人が同居したそもそものきっかけは、萩尾望都先生のファンであり文通相手でもあった増山さんが、竹宮先生に提案したことでした。