「花の24年組」が集まった大泉サロン
「ちょっとした提案なんだけど……聞いてくれる?」
長電話のあの夜から、さほど日にちを空けず、増山さんがこう言ってきた。
「あのねえ、うちのすぐ向かいにある二軒長屋の片方が空いたのよ。そこに、萩尾さんも呼んで一緒に住むって、どうかな。みんなでトキワ荘みたいな暮らし方をしない? 少女マンガ界にも、ああいうことがあればいいなってずっと思ってた」
「それ、いいねえ!」
私は当然、二つ返事だ。
「あなたと萩尾さんがいれば完璧! 絶対いろんな人が集まってくるよ。保証する」
(竹宮惠子『少年の名はジルベール』小学館文庫)
萩尾先生が竹宮先生の臨時アシスタントをしたこともあり、二人は顔見知りでした。トントン拍子で二人の同居生活は始まり、やがてこの場所に「花の24年組」と呼ばれる女性漫画家たちが集うようになっていきます。萩尾先生と竹宮先生が同居した1970年から72年までの約2年間にわたり、大泉サロンは「花の24年組」の情報交換や交流の場として機能しました。
山岸凉子先生が萩尾先生の文庫版『ルルとミミ』(小学館文庫)の巻末で紹介しているのですが、大泉サロン時代の萩尾先生のエピソードで非常に面白いものがあります。「今、それどころじゃないから」というエッセイです。
当時、彼女のアパートは練馬のだだっ広いキャベツ畑を突っ切っていかねばなりませんでした。彼女はその日、編集部へ持っていったネームがボツになり、意気消沈して帰ってきたのです。
夕暮れのキャベツ畑をトボトボと歩いていると、なんと! 彼女は後ろから羽交い絞めにされたのです! そう暴漢です! 痴漢です!!(そこまで聞いて私は息を飲みましたが)
しかし、彼女の口から出たのは悲鳴ではなく……
「今、それどころじゃないから」の一言!
なんとその痴漢は手を引っ込めてしまい、彼女は何事もなく帰宅したのでした。
いや、彼女の武勇伝や笑い話を話そうというのではありませんよ。
当時、この話を聞いて私は「さすがは萩尾望都!」と半ばあきれながらも感嘆したのでした。(前掲書)