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自分の身より、ネームが大事
当時の萩尾先生は、『なかよし』にネームを持っていってはボツになるという日々を送っていました。萩尾先生・竹宮先生が暮らす「大泉サロン」は、広いキャベツ畑を通らなければたどり着けないような場所に建っていて、萩尾先生はその日、意気消沈しながら夕暮れのキャベツ畑のなかを歩いていたそうです。
その途中、萩尾先生は突然、痴漢に後ろから羽交い締めにされました。しかし萩尾先生は悲鳴をあげるどころか、「今、それどころじゃないから」ときっぱり言い放ったというのです。すると痴漢は、その手を引っ込め、萩尾先生はそのままスタスタと帰宅しました。
萩尾先生にとっては、痴漢に遭うよりもネームがボツになることの方が重大でした。それほど漫画に対して、真剣に打ち込んでいたということです。
それにしても、当時の『なかよし』編集部は、なぜ萩尾先生の作品を大量にボツにしたのか。今考えても不思議でなりません。
おそらく、雑誌の読者層や雰囲気に合わなかったということだと思いますが、萩尾先生ほど才能のある人でも努力が報われない時代があったというのには驚きます。それほど萩尾先生は初期の頃から完成度の高い漫画を描いていました。当然ながら、萩尾先生はその後『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』で人気が大爆発します。
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