中日ドラゴンズの黄金時代を築いた落合博満監督が退任してから、今年でちょうど10年。『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平・著)をはじめとして、“落合ドラゴンズ”を総括する書籍も複数出版されています。
そこで、2005年に入団し、落合監督時代(2004年~2011年)の後半をエースとして支え、自らも著書『中日ドラゴンズ復活論 竜のエースを背負った男からの提言』を刊行した吉見一起さんに、間近から見た落合監督が率いる組織、落合監督というリーダーについて語っていただきました。
◆◆◆
最初は「監督といっても“ただいるだけ”って感じでしたね」
――吉見さんは落合監督とのファーストコンタクトは覚えていますか?
吉見 入団会見や一軍に上ったときの簡単な挨拶はありましたが、それ以外では06年に先発して初勝利を挙げたときですね。9月18日だったのですが、その日が落合さんの奥様、落合信子さんの誕生日だったんですよ。僕の記憶が正しければ、横浜スタジアムに信子さんも来られていて、試合後に信子さんを交えて落合監督と二言、三言、会話をしました。これが初めての会話でしたね。
――08年に10勝を記録し、09年には開幕投手に指名されたとお聞きしました。
吉見 そうです。森繁和投手コーチに「(開幕)してみたいか?」みたいな感じで聞かれました。エースの川上憲伸さんが抜けたばかりで、そのときは「やってみたいです」と答えたのですが、オープン戦で風邪をひいてしまったんです。「熱で2日も休んだヤツに開幕を任せられるか」と森さんに言われてその話はなくなりました。ただ、僕は開幕投手に興味なかったので、「ああ、わかりました」という感じでしたね。
――09年に16勝で最多勝となり、10年には開幕投手を務めます。2年連続で開幕投手に指名されたわけですが、落合監督からの期待を感じていましたか?