中日ドラゴンズの黄金時代を築いた落合博満監督が退任して今年で10年。それだけの年月が経ったいまなお、『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平・著)をはじめとして当時を総括する書籍も数多く出ているのが現状だ。接戦を常にものにし続け、一人一人の選手が抜け目なくプレーを重ねるまさに「プロの集団」として、“落合ドラゴンズ”は語り草になっている。

 2005年に入団し、落合監督時代(2004年~2011年)の後半をエースとして支え、自らも著書『中日ドラゴンズ復活論 竜のエースを背負った男からの提言』を刊行した吉見一起氏に、当事者のひとりだからこそ見えた当時の「落合監督」の実像を聞いた。

吉見一起氏 ©文藝春秋

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強いチームが持つピリピリした緊張感

――選手たちが大人扱いされていた反面、当時のチームにはピリピリした緊張感があったように感じます。実際はいかがでしたか?

吉見 ありましたね。当時は立浪(和義)さんや谷繁(元信)さんのような怖い先輩たちがいて、そこにいるだけで雰囲気が締まるんです。自分の本にも書きましたが、今のドラゴンズにはまったくそういう雰囲気はありません。選手の時間の過ごし方を見ても、「今、試合中じゃないの?」と思うようなことがありましたから。

2010年、クライマックスシリーズ・ファイナルステージ。マウンドで谷繁元信捕手との会話 ©文藝春秋

――当時は落合監督だけではなく、先輩の選手たちも緊張感を醸し出していたんですね。

吉見 自分も含めて若い選手はロッカーにいられませんでしたから。ロッカーの真ん中にソファーがあって、そこに一人で座っているのが立浪さん。もう一つのソファーには別の先輩方が座っている。僕たちはソファーに座ってはいけないと思っていました。

「古い」と言う人もいるかもしれませんが、そういう厳しさの中で野球をやっていたのは事実ですし、強くなるためには厳しさが必要だと思います。僕は他球団全部を知っているわけではありませんが、かつてのジャイアンツなら阿部(慎之助)さん、ヤクルトなら宮本(慎也)さんのように、強いチームには「締める人」がいると思います。

©文藝春秋

――立浪さんと谷繁さんはいずれも厳しそうな雰囲気がありますが、それぞれ違う厳しさだったのでしょうか?

吉見 立浪さんは、口数こそ多くありませんでしたが、服装や身だしなみ、髪型などについて言われたことがあります。実は後輩の面倒見が良くて、とても優しい方なんですよ。でも、チームとして強くなっていく上で、厳しさが必要だと考えていたと思います。

 谷繁さんはヤンチャな人なので、気分次第でいろいろなことが起こるんですよね(笑)。ワッ!と怒ることもあれば、調子が良ければ何も言わないこともありました。