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――投手陣の中心にいたのは、どなたなんですか?

吉見 投手陣を締めていたのは森(繁和)さんです。本当は年次で言えば岩瀬(仁紀)さんが締めなくてはいけなかったのでしょうが、そういうことは苦手な方でしたからね。

落合ドラゴンズをコーチとして支えた森繁和コーチ(右) ©文藝春秋

――落合監督が率いるドラゴンズは、吉見さんが入団された頃には、すでに緊張感と厳しさがある戦う集団として完成されていたわけですね。

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吉見 そうですね。厳しさといえば、「一つの失敗でファームに行かされる」という緊張感もありました。僕が又吉(克樹)らに言ってたのは、当時は「先発は2試合連続で打たれたら即ファーム」「中継ぎは防御率5点台で即ファーム」だったということ。

 今は何度打たれてもファームに落ちない選手もいる。一軍で誰かが打たれて二軍の選手が「よっしゃ、次は俺の出番だ!」と思ったのに、一軍に上がれなければ「何でだよ……」と思いますよね。そうなれば、日々の試合に対する準備にも差が出てきます。それが一軍と二軍の間に溝ができる原因になるんです。

©文藝春秋

「お前ら、仲良くしすぎだ」

――吉見さんと同級生の浅尾拓也投手(現・二軍投手コーチ)とは、チームの雰囲気や落合監督について会話することはあったのですか?

吉見 いや、なかったです。僕は選手と仲良くしなかったので。シーズン中は、ずっと一人でいました。情報の共有もしなかったです。

――それはなぜですか?

吉見 最初はそうではなかったんですが、あるとき谷繁さんから「お前ら、仲良くしすぎだ」と言われたんです。最初は「別にいいじゃん」と思っていましたが、勝っていく中で「これは駄目だな」と思うようになって。傷の舐めあいもできてしまうし、どこかで選手に情が入ってしまうことに気づいたんですよ。

©文藝春秋

「自分が投げていないのに一喜一憂する」ストレス

――他の選手に対する情、ですか?

吉見 味方の投手が投げているとき、「抑えろ!」と思いながら見ていて、抑えたらいいんですけど、打たれたらしんどくなってしまいますよね。それがストレスになるのが嫌だったんです。他の選手のことはコントロールできないじゃないですか。そういうことを何度も経験するうちに、自分は投げていないのに一喜一憂するのは良くないと思うようになって、一人でいようと思うようになったんです。