日本中のオリックス・バファローズファンの皆さん、ついにこの日が来ましたね。25年ぶりのパ・リーグ制覇!! 皆様おめでとうございます。おめでとうございます。おめでとうございます。
あの頃の僕はまだ「呪い」を知らない無邪気なオリックスファンだった
長かった。本当に長かった。振り返ること26年前の秋。1995年9月19日西武球場。立ち見席のチケットを握りしめた21歳・大学3年生の僕は仰木彬監督の胴上げを素直な感動の涙と共に見つめていた。「オリックス・ブルーウェーブ」としての初優勝。僕にとっても贔屓球団・初優勝の瞬間だった。「これが優勝するっていうことかぁ!」ただシンプルに嬉しく楽しくワクワクしながら喜びの涙にくれていた。もちろんオリックスファンの友人など一人もいなかったので(今もいないが)ひとりぼっちで西武球場に来たらたくさんのオリックスファンが来ていて驚いたことをよく覚えている。翌年もパ・リーグを連覇。念願だった日本一にも輝いた。
その後、僕は1997年に週刊少年サンデーで漫画編集者になり、2004年秋には念願だったあだち充先生の担当編集者になった。大のヤクルトファンであるあだち先生と95年の日本シリーズについて語り合い「次またオリックスとヤクルトが優勝したら二人で日本シリーズを観に行きましょう!」と約束した。オリックスの低迷はすでに始まっていたが今思えばあの頃の僕はまだ「呪い」を知らない無邪気なオリックスファンだったように思う。
そして日本一の栄光から25年。仰木監督は鬼籍に入られ、毎年のように監督交代が行われ、チームは方向性を見失い、長い長い低迷が続いた。ドラフトでは有力高校生投手に入団拒否され、オリックスから別チームに去った選手は溌剌とした笑顔で活躍し、FAした大物内野手には会ってももらえずお断りックス。さらには2004年の球団合併騒動という悲劇。この25年間のオリックス・バファローズは劇的な敗戦を繰り返す前代未聞の「呪われた」プロ野球チームだったように思う。それでもオリックスファンは健気に応援し続けた(もちろん僕も含めて)。球場で出会うファンの皆さんと語り合う時、共通してみんなが言うのが「娯楽なのにオリックスは信じられないストレスを与えてくるよね(笑)。まあまた次の日になると応援しちゃうんだけど。一度ファンになるとやめられないしね」。
僕の中でもオリックス・バファローズは「プロフェッショナルでアメイジングなプレイの数々で勝利の夢を見させてくれて、応援している自分が誇らしく、自分も頑張らなきゃ!という明日の活力になるカッコイイ憧れの存在」から「すごく出来が悪くて毎日毎日にわかには信じられない酷いことばかりしでかして心労が絶えないけど可愛くて仕方ない自分の子どものような存在」に変貌していた。
そんなオリックスの「呪い」の最たるものに「大一番で勝てない」があったと思う。チームにとって「ここは絶対に勝たなければならない」という試合をオリックスはことごとく落としてきた。例えば開幕戦。今年も含めていまだ開幕戦は10連敗中。延長戦での勝率もほぼ毎年異常に悪くシーズン中でも劇的な逆転負けはオリックスの得意技だ。極めつけが「シーズン最終盤の悲劇」。2014年の「10・2決戦」は多くのファンの脳裏に焼き付いていると思うが、僕としては2011年「10・18最終戦の悲劇」が個人的にワースト1位。勝つか引き分けでCS出場が決まる大一番。必勝を期すオリックスはエース金子を立てるも初回から失点を重ね6回4失点。打線もバルディリスのソロ本塁打のみでなすすべもなく淡々と試合は終了。解説者さんも「普通こういう試合は勝つものなんですけどねえ。こんなことは長くプロ野球に関わってますけど見たことないです」と呆然自失。ベンチがお通夜状態の中、行われた球団セレモニーは地獄絵図だった。うなだれる選手一同が誰一人笑顔もないままグラウンド一周。そんな中鳴り響くMEGA STOPPERさんの名曲「SKY」の生演奏。「これが娯楽と呼べるのか???」僕はこの悲劇を目に焼き付けておこうと全てを見届けたがいまだに思い出すだけでゾッとするくらいのトラウマになっている。