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「当時の私は、いてもいなくてもいい存在だった」自信のなかったあやまん監督(42)が、下ネタでブレイクするまで

あやまんJAPANインタビュー #2

2021/10/30
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当時の「ぽいぽい」の爆発力は、理屈じゃ説明できない

――いろいろと、無敵だったんですね。

あやまん でも今はもう何かを背負ってしまったので、昔ほどはっちゃけられなくなりました。それこそ「ぽいぽい」をはじめとしたいろんな芸は、楽しく飲んでいる中で自然発生的に生まれたものなんです。

 当時の「ぽいぽい」の爆発力は理屈じゃ説明できないもので、それを今はお仕事としてやっている時点で、ちょっと違うものかもしれませんね。

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――芸能界に入ったことで、趣味でやっていた「試合」でのパフォーマンスが仕事になったわけですね。環境が変わったことで、周囲の対応も変わりましたか。

あやまん それまでは、普通の女の子との飲み会だと思ってたら突然私たちが豹変して、「うわ、なんだこの子たち」っていう周りの反応を見るのが楽しかったんです。

 でもテレビに出て名前が知れてしまった後は、試合相手に「なんか面白いことしてくれるんでしょ?」と高いクオリティを求められるようになってしまって。今までの楽しみが失われた感じですよね。

――ではデビュー後は試合回数も減りましたか。

あやまん テレビに出た途端、オファーがなくなりましたね。特に有名人の方からはパタリとお声がかからなくなりました。あやまんと飲んでいるのがバレるとマズいと思われたのかもしれません(笑)。それからもう、「ビジネスぽいぽい」ばっかりです。

ダボス会議の3次会に呼ばれたけれど

――プロを引退してまたアマチュアとして楽しく試合をしたい気持ちはありますか。

あやまん いや、もうアマチュアでは楽しめないです(笑)。今はいい意味でも悪い意味でも仕事だからやっています。お客さんに喜んでもらえたらめちゃくちゃうれしいですしね。そういえば、ダボス会議の出席者に呼ばれたこともあるんですよ。

 

――すごい、グローバルですね!

あやまん ダボス会議後の3次会と言ってました(笑)。だから英語バージョンのパフォーマンスを用意して行ったんですけど、みんな酔っ払っててぐちゃぐちゃで全然聞いてない(笑)。

 でも「ぽいぽい」や「あやまんジェットコースター」(詳細は前編にて)は盛り上がったので、言葉が通じなくても面白さが伝わるんだ!と認識できました。なので今の夢のひとつは、海外進出です。

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写真=松本輝一/文藝春秋

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