学校に常駐していると良いことがあるんです。まず、外部から人が訪ねてくる。当時、いろんな人がきました。また、生徒が突然話をしたいという場合もあるんです。その場合、保護者にすぐ許可をとって、面談をします。常駐していると即対応ができます。話したいという思いは、翌日まで持たないことがありますよね」
第三者の弱点とは
現在では、こうした常駐の調査委員がいない仕組みだ。突然わいた「話したい」という思いは受け止めることができないのか。
「調査委が設置される前、学校でもアンケートを取るなどの初期対応をしますよね。自前の(初期)調査でも可能なはずです。こうした調査の仕方がまずいから第三者の調査委員会という話になってくるんです。初期段階で、学校がいじめの加害者とグルと思われるから不信感が出てくる。学校は自前で調査していいんですよ。むしろ、きちんと調査しないとだめです。隠蔽や改竄をするから第三者ということになっています。第三者の弱点は、子どもとの距離が遠いこと。それに、遺族は放置されてしまうんです」
いじめ自殺に関する調査報告書で、亡くなった子どもの思考をここまで読み解くことができた例は、筆者は他に知らない。もちろん、調査に当たった渡邉さんの感性によるものも大きい。今回、書籍を執筆するにあたって、渡邉さんは報告書を読み返した。
「新しい発見があった。『え? 今は違うな?』と思ったりした。報告書が違って読めた。当時はのめり込みすぎました。真矢さんが憑依していたような感じでした。真矢さんがもっとわかってほしいと思っていたことを伝えようと、“本当の真矢さん”を探していた。
独自の表現はいらない
今回読み返して、一番違ったのは、“おちゃらけ”について。報告書を書いた当時は、おちゃらけ=偽っていると思っていたんです。でも、それも真矢さんだということも感じた。幼馴染が、『あいつは、おちゃらけ。笑われて満足しているところもある』と言っていたんです。当時は、『そうか? なにを言ってるんだ? 本当の真矢さんっているかな?』と聞いたりした。
10年経って、今ならそう思えます。真矢さんは笑われることで、セルフケアをしていて、辛い状況を生き延びていた。その証拠に、いじめの一番ひどい時には死ななかった。でも、自分を保てなくなってきたんだと思います」
本を書くにあたって、最後まで悩んだ表現があるのだろうか。
「僕は真矢さんと同じで癖のある漢字をたくさん書くんです。逆に、体を『からだ』と平仮名にしていました。『思う』を『想う』にしたり、『生かす』を『活かす』にしていたんです。でも、僕を知らない人でも手に取れるようにしたんです。報告書なんて、一生に一度も読まない人が多い。滅多に読まない報告書を知ってもらいたい。だから、単に客観的にというのではなく、淡々と書くことで、読者に委ねようと思ったんです。その作業をしていたときに、独自の表現はいらないと思ったんです」