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骨が砕け、肉は割け、それはもう大変な苦痛が…九州南部「隠れ念仏の里」に残された“命がけの信仰”の歴史

『私の親鸞 孤独に寄りそうひと』より #2

2021/11/06
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拷問に使われた「涙石」

 その間にもさまざまな弾圧の歴史があり、それが明治の時代になってようやく解禁されるまで、苛烈な迫害に殉教や逃散など多くの犠牲を払いながらも、念仏信仰を守り通してきた土地がある。そういう歴史がどうにも気になるものですから、訪ねて行ったのです。

 私が実際に行った隠れ念仏の遺跡は、鹿児島市から車で30分ほど走った山あいの町にありました。たしか、「かくれ念仏洞前」というバス停で降りて、鬱蒼とした雑木林を抜けて登って行くと巨大な岩があり、その影に小さな入り口があった。そこは洞穴というか、沖縄戦でたくさんの人々が隠れて犠牲になった場所のような自然洞窟です。

©iStock.com

 身を屈めて中に入っていくと奥のほうが少し広くなっていて、小さな阿弥陀如来があり、祭壇には名号が書かれた札のようなものがパラパラ散らばっていました。

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 かつて人々は、夜な夜な監視の目をかいくぐり、命がけで人里離れたその洞窟に集まっては念仏を唱え、自分たちの信仰を守り通してきたという。その念仏の声が聞こえてくるようでした。

 弾圧の中では打ち首になったり、拷問に遭ったりすることもありました。鹿児島の西本願寺別院の境内には、涙石という石が置かれています。まな板の5~6倍もあるような大きな石が積み上げてあります。拷問のときに後ろ手に縛って膝の上にその石を1枚ずつのせていく。2枚のせ、3枚のせるたびに骨が砕け、肉は割け、それはもう大変な苦痛が降りかかってくる。そこで自白と「転教」を迫るわけです。

 しかし、隠れ念仏の人たちは何度念仏を捨てろと言われても、信仰を守り通して亡くなる人々が多かったという。十数人の念仏者が女も子どももみな体を縛り合って淵に身を投げて死んだとか、そういう場所もいろいろ残っています。

鹿児島出身の稲盛和夫さんの思い出

 生まれてはじめて、「隠れ念仏音頭」というものにも出会いました。

 薩摩島津の この村は
 血吹き涙の 三百年
 死罪・拷問 くりかえす
 嵐のなかの お念仏

 何とも迫力のある歌詞ですね。こうした精神的伝統が隠れ念仏で、東北のほうにある隠し念仏とは少し違います。九州では「隠れ念仏」、東北の岩手などにあるのは「隠し念仏」といいますが、鹿児島出身の稲盛和夫さんから、こんな話をうかがったことがあります。