「島国日本」にはいったいいくつの島があるだろうか。およそ六千八百。もっともそのうちで人が住んでいるのは四百三十。なかには本州や九州のような「本土」もあれば、屋久島のような人気の観光地もある。また何日かに一度、船が寄港するばかりという離島も存在している。本書の著者は四十五年の時間をかけてそのすべてに渡ったという写真家で、文字通りの「島野郎」である。
ところがどっこい、それで終わりではなかった。四百三十とは自然に形成された島の数にすぎない。人工的に構築された島が、ほかにも恐ろしい数にわたって存在しているのだ。その数は東京湾だけを見ても七十余り。徳川家康の干拓工事以来、四百年の結果である。
日夜大量に生産されるゴミを集め、埋め立てて造った島もあれば、水路の建設のおかげで陸の一部が切り取られ、その結果生まれた島もある。長年にわたり河口に沈殿した砂が砂州を築いたので、それを囲繞(いにょう)し補強して作った島もある。さらにお台場から防波堤まで。
こうした人工島の特徴はペラッと平らなことだ。
ではこうした「島」にも、陸地や自然島と同じく、地霊、つまり氏神さまというものが存在しているのだろうかと、著者は興味深い問いを投げかけている。かつては羽田島であった羽田空港では、進駐軍が穴守稲荷神社の大鳥居を撤去しようとしたが、奇怪な事件が続出し、撤去できなかったという経緯を聞くと、人工島にも豊かな都市伝説の芽が隠されているのがわかる。
かつて筆者は月島に長く住んだことがあった。日清戦争の時期に造成され、軍事産業の下請け工場とリゾート地として発展しながら、いつの間にか時代から取り残されてしまった小さな島である。それが近年に至り、ノスタルジアの対象としてもてはやされるようになった。本書を読んで、こうした月島の目まぐるしい変遷を、東京湾というより広い文脈のなかで理解できるようになったのは望外の悦びであった。
かとうようじ/フォトグラファー。映画制作会社、水中撮影プロダクション、出版社などを経て1980年に独立。近著に『原色ニッポン《南の島》大図鑑』『原色日本島図鑑』『日本百名島の旅』など。
よもたいぬひこ/1953年大阪府生まれ。映画史・比較文学研究家。新著に『署名はカリガリ:大正時代の映画と前衛主義』がある。