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家賃を18カ月滞納した大作家、子どもの衣類がないと訴える経済学者…歴史的偉人たちの生々しすぎる“金欠”苦労

『人間愚痴大全』より #2

2021/11/14
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 女性への未練、仕事の焦りや家族への恨み……。環境やタイミングによって、種類こそさまざまではあるものの、人生に悩みや愚痴はつきものといって過言ではないだろう。そうしたなかでも“お金”に関するものは、生活に直結する問題なだけに深刻だ。

 歴史・文学研究家の福田智弘氏が偉人たちの不平不満をまとめた『人間愚痴大全』(小学館集英社プロダクション)でも、歴史に名を残す人々の“お金”に関する愚痴が数多く紹介されている。ここでは同書の一部を抜粋。意外な人物が抱えていたお金についての苦労話、そして、そうした状況に陥った際の“愚痴”について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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最初から金の事を考えて居ったならば/渋沢栄一(実業家)

 1840年~1931年。埼玉県出身の実業家。明治になり大蔵省に勤めたのち、実業家となる。第一国立銀行の創立に尽力したほか、約500の企業の設立、育成、約600という教育機関や公共事業の支援等に尽くしたという。

渋沢栄一氏 ©文藝春秋

 渋沢栄一という実業家の名前は知っていても、どういう人だったのかはあまり知られていなかったように思う。しかし、大河ドラマ『青天を衝け』のおかげで、武蔵国血洗島(現在の埼玉県深谷市)の豪農の出身で、若い頃には当時流行していた尊王攘夷活動にのめり込んだが、挫折して一橋家の家臣となり、維新後、官僚を経て実業家として活躍したことなどが知られるようになってきた。

 なにしろ、裕福な農家の出身だったので、元々金の苦労というのはしていない。もちろん、農業や藍玉の製造・販売、養蚕の仕事などで苦労はしてきたが、金の心配はないままに成長した、といってよいだろう。

 その後、尊王攘夷活動に挫折し、従兄弟の渋沢喜作と二人で京に出て、初めて金の苦労を味わうことになる。もっとも、その苦労を知るのも故郷を出てからしばらく経ってからのことになる。なにしろ家を出る時には父から百両もの大金を融通してもらっていたのだから……。

 幕末期の1両が現在のいくらくらいに当たるのかは、計算の仕方によって変わり、1両≒1万円程度から20万円程度と大きく幅がある。いずれにせよ、100万~2000万円相当の大金をもらって旅立ったわけである。

 しかし、なにしろこれまで金の苦労をしたことのない20代半ばの男二人が、田舎町から大都会・京へと、大金を持って上っていったのだから、それは遊びもしただろう。まだ志士たちとの交流もしていたし、物見遊山で伊勢神宮にも出かけている。宿も比較的よいところに泊まっていたらしい。

 そして、2カ月ほど経ってふと気づくと、懐はすっかり寂しくなっていた。後年、渋沢は当時のことを振り返り

「最初から金の事を考えて居ったなら」

 と、愚痴を漏らしている。金銭に関する計画性などまるでなかったのだ。

 結局、友人などから借金をしてなんとか宿代は払ったが、一橋家に仕官した頃には借金は25両ほどになっていた。先ほどの計算からすれば、かなりの額だ。

 しかし、それからは喜作と二人で、懸命に倹約生活をした。慣れない自炊をし、布団代を安く上げるために一人分の布団で背中合わせになって寝たという。

 そして、決して高くはない給金を貯めて、無事、25両の借金を完済した。後年、その時金を貸した人は、

「最初から返してもらう気などなかった。きちんと倹約して返済するとは若いのに見上げた心掛けだ」

 などといったという。

 金の苦労を知らなかった人間が、初めて困窮を知り、そこから抜け出そうと努力した。のちの経済人としての素養もその時に磨かれたことだろう。