なぜ総理大臣になれないのか
私は2003年の初出馬の時に小川と出会い、「こういう人が政治のかじ取りをしてくれたらいいのに」という思いを抱きながら、発表のあてもなく彼の活動を記録してきた。「観てくれる人は少なくてもいいから、映画にしよう」と考えたのは2016年。当時民進党に所属していた小川はなかなか芽が出ず、自らも歯がゆい思いで日々を過ごしていた。
私はなぜこんなに真っ当で優秀な人がうまくいかないのか、このままでは小川淳也という人的資源の無駄遣いではないか、とまで思い始めていた。浮かんだタイトルが『なぜ君は総理大臣になれないのか』。そこから完成まで4年の時間を要した。2020年の6月に公開された映画は、コロナ禍で劇場は定員の半分での営業だったが、思いもよらぬヒットとなった。
映画の中で描いた「小川が総理に(今のところ)なれない理由」は、主に二つ。
一つは、「政治家に向いていないのではないか」ということ。これまでの例で言えば、大成した政治家には「清濁併せ持つ」という資質があるとされるが、小川にはそれが、まるでない。この件については、「従来の政治家像を変えたい」と政界に飛び込んだのだから、向いていないと言われるのはある意味本望だ、と本人も言っているので、今の小川のままで新しい政治家像を作ってほしいと、私も思う。
選挙に弱い小川
だが、もう一つの理由のほうは、厳然としている。それは、小川が選挙に弱いということだ。これまで5回当選してきたが、選挙区当選したのは2009年の1回のみで、あとはすべて比例復活。比例当選の代議士は、選挙区で勝ってきた代議士よりも、党内での立場や発言力が弱い。今回の総選挙で、自民党の甘利明幹事長が選挙区で敗れたことで(比例復活で議席を守ったものの)、幹事長辞任を申し出たことからも、それはわかる。つまり、比例復活では党幹部になれない、ということを意味するのだ。党幹部になれないということは、当たり前だが総理になれるはずもない。そんな小川の選挙で、毎回高く分厚い壁として立ちはだかってきたのが平井氏、というわけだ。
だから私は、平井氏と自民党の強さの理由をこの目で見てみたい、と考えるようになった。何を隠そう私自身、自分が投票した候補者がこれまで勝ったためしがないのだ。平井氏や自民党を支持する人たちは、私とは考えが異なるのだろうが、投票行動には必ず合理性があるはずだ。6月下旬から始めた取材だったが、東京と香川を何度も行ったり来たりしながら、激動の4か月を過ごした。