都会でホームレスするよりも遍路がいい
幸月は自殺など1ミリも考えない性格だったようだが、ヒロユキはどうなのだろう。
「自殺は、何度か考えたことある。最初は20代で横浜の寿町に住んだとき。もう死んでしまおうかなって思っただけで、実行はしなかった。遍路はじめたときも、ふと夜に車に飛び込んだら死ねるなと思ったことはあるけど、今はもう思わない。遍路を始めたときは『救急車を呼ばないでください。延命処置もしないで』と書いた札を首からかけてたけど、今はもう面倒になって外してしまったな」
「もう70歳を越えて、最期はどうなるのだろうかと考えたことはありますか」
「行き倒れでバッタリ死ねるのが理想だけど、なかなかうまくいかないだろうから、どうなるんだろうな。最後は荷をうんと軽くして、食事も喜捨してもらって、善根宿か通夜堂に泊まることになるのかな」
ヒロユキを世話している鵜川は「その人に何か強い思いがないと、野宿の旅なんてことを続けることはできないものだ」と話していた。私も同感で、このような旅を数十年にわたって続けるには、何らかの業というか、背負っているものがないとできないのではないか。
「いや、そんな大そうなものでなくて、単に慣れの問題だと思う。ぼくは釜ヶ崎で十数年ホームレスして慣れてたからね。家からいきなり遍路に出て野宿の連続だったら苦しいかもしれないけど、ぼくは最初から慣れてた。遍路より、都会でホームレスする方がもっとつらいよ。遍路だったら毎日違うところで野宿するから新鮮だし、飽きない。人とのしがらみも生まれないし、少年たちに襲われることもない」
「今が一番、幸せだ」
48歳でホームレスになってから、野宿歴は20年以上になるから確かに大ベテランだ。ホームレスになるときは抵抗があったかもしれないが、宿代から解放されて、そのぶん悩みが減ったとあくまでも前向きだ。
また都会のホームレスは道行く人に蔑まれ、時に酔っ払いや少年たちに襲撃されることもあるが、遍路をしていれば地元の人たちが逆に尊敬の眼差しで接してくれる。
「釜ヶ崎でまだドヤに泊まっていたときは、仕事も続けられなかったから、本当にしんどかったなあ。それが野宿になって自由になった。今は読経して、托鉢するだけで生活できるから本当に楽になったな。釜ヶ崎にいたときの方がしんどかった」
ヒロユキは、高校生のときに不登校になって精神科病院に入れられて以来、生きづらさを抱えながら50年以上、社会の底辺で生きてきた。それが草遍路をするようになって、生活が劇的に変わったという。
ふと思い出したように、ヒロユキは真顔で私にこう語った。
「メモしてあるんだけどな、2017年に初めて、ぼくは自己肯定感をもてるようになった。それまでは社会が正しくて、自分は駄目な奴、落ちこぼれだと思っていたんだけど、あるとき遍路をしていて、ふと『いや、これでいいんだ』と思えるようになった。それからは生きているのが楽しくなったな。今は精神的に一番、満足してる。今が一番、幸せだ」
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