信仰がないと、ただの乞食になってしまう
「以前から仏教に興味があったんですか」
「それまでは左翼活動していたから、まるで関心なかったな。無信仰だった。だけど自転車で四国に来たときに遍路の存在を知って、そこで初めて信仰に興味をもつようになって、仏教のことを勉強し始めたんだ。今は般若心経を広めたいと思ってて、般若心経と意味が書かれたコピーを配ってるんだけど、くださいと言って持って帰る人は年に一人くらいだな。弘法大師もいいんだけど、本当は仏陀に憧れてるんだ」
「もはや修行僧ですね」
「うーん、自分としては修行ではなく生活のためにしてるんだけど、やっぱり何か目的がないと遊びになってしまうからな。遍路で生活してる人の中には寺にお参りしない人もいるけど、ぼくの場合は巡礼という目的がないと歩けなくなる。信仰がないと、ただの乞食になってしまうしね」
「それにしても、北海道にも巡礼地があるんですね」と感心していると「北海道も遍路装束で托鉢して回ったよ。あそこは旅人にやさしいから、本州でやるよりもらいが多かった。あれはぼくも意外だったなあ」と屈託がない。
世話になるのが嫌だから人の家には泊まりたくない
「幸月さんが出所してからは、新居浜に来るたびにアパートに泊めてもらったりしてたな。漂白剤をすごく多くつかって遍路の白衣を真っ白にすることを教えてくれて、タヌキをとってきてタヌキ汁にしてみんなで食べたりしたな。ぼくが近くのスーパーで托鉢していると、幸月さんが偶然きたことあったんだけど、ハットをかぶったりしてオシャレだったから、びっくりしたこともあったなあ」
幸月は托鉢をせず、地元の人からの接待とアルバイトで四国を回っていたが、ヒロユキは托鉢をしながら遍路をしている。
「幸月さんは社交的で明るかったから、親切な人がいたらよく泊めてもらってたけど、ぼくは人の世話になるのが嫌だから泊まりたくない。すごく気を遣うから疲れるんだ。できるだけ人と付き合いたくないから、鵜川さんが呼んでくれるのも助かるんだけど、時々負担になってしまう。こういう性格でなければ、普通の生活してたのかもしれないんだけどな」
同じく草遍路のナベさんと会った話をすると、ナベさんを知っているという。
「ナベさんとは遍路し始めた頃、屋島(香川県)の東屋で会って、托鉢のアドバイスを受けたことあったな。我聞という人も、会ったことないけど名前は知ってる。遍路で食べてる人はだいたい、どこかですれ違うし噂は聞くからな。あと高知の宿毛の人で、自宅も船も持ってるのに托鉢していた人がいたな。船に乗るにも油代とかいるから、足りないときだけ電車に乗って托鉢するんだ。この人は門付専門で、各宗派の経文まで持っていた。昔はダイソーで各宗派の経文を売ってたんだよ。酒飲んでいつも酔っ払ってたなあ。この人はもう死んだけどな」