ホームレス仲間が暴行を受けて死亡…釜ヶ崎での生活も限界に
この年の7月22日には釜ヶ崎のホームレス仲間が、20歳から15歳までの若者たち4人に暴行をうけ内臓破裂で死亡している。
10月31日には東住吉の公園で野宿していたホームレスが、何度も罵ってきた中学生と揉みあいになり、反対に少年を包丁で突いてしまうといった事件が起こった。
釜ヶ崎での生活も、そろそろ限界になっていた。
「ぼくも酔っ払いに段ボールハウスの骨組みを引っ張られて、頭にきて追いかけたら『しゃれだよ、しゃれ』って言われたりしたな。あと病気で入院した野宿者の中には、野宿仲間に会いたくて週末になると外泊して、動物園の入口でアオカン(野宿)する人もいた。その人はある日、公衆便所の前で脳溢血で死んでた。病院に入っても、自分には見舞いにくる人もいないから、寂しかったんだろう。
こんな話は山ほどあるよ。別の人は、雨のなか公園で倒れて『このまま死ねるな』と思ってたら、通りがかりの女性に声をかけられたんで、思わず『助けてください』と訴えて病院に入れられた。ところが病気は治ったんだけど、入れる施設がなくて3ヵ月に1回、病院をたらい回しにされて、最後は病室じゃなくて布団部屋というか、倉庫みたいなところで死んでるのを発見された。助けた女性は、お見舞いには来ていたみたいなんだけど、雨の日にそのまま死んだ方が良かったんじゃないかとも思うし、どっちが幸せだったんだろうなと、考えるようになったんだ」
まとまった金が貯まると四国遍路へ
やがてヒロユキは釜ヶ崎に段ボールハウスを置きながら、まとまった金が貯まると四国へ遍路に出る生活を始めたが、この頃に幸月(編集部注:四国遍路を回ることをなりわいとしていた老人。やがて遍路関係者の間で有名になり、NHKのテレビ番組で全国放送されたところ、指名手配犯だとわかって逮捕された)と四国で出会っている。
「幸月さんとは何度か四国で会ってると思うんだけど、実はあんまり覚えてないんだよね。自分の行動はメモしてるからわかるんだけどね」
2003年には、幸月の裁判が大阪地裁で始まった。
ヒロユキは釜ヶ崎の支援者からの連絡でそれを知り、住んでいた段ボール小屋から裁判の傍聴に通い始める。そして愛媛の新居浜から傍聴に通っていた鵜川と、裁判所で初めて出会うことになる。
鵜川は、一見して労務者風のヒロユキが傍聴に来ていることに興味をおぼえて声を掛けてみると、ホームレスをしながら通いで四国遍路をしているというので、新居浜に来たら自宅に寄るようにと伝えた。
2006年、ヒロユキが住処としていた段ボール村の強制撤去が始まる。ヒロユキは初め抵抗したが、結局は最後の1人になったこともあって自主的に撤収している。
それから4年ほど、他の仲間の段ボール小屋を間借りするなどして釜ヶ崎でしばらく暮らしていたが、ついに四国で草遍路として生きようと決意する。