「野宿はつらいけど、自由だし仲間もいた」
2002年8月には、国によって「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が制定され、以前は住所がないと受けられなかった経済的支援などがホームレスでも受けられるようになった。なぜそれを拒否して、厳しい草遍路の生活を選んだのか。
「支援者の助けをかりて、福祉とか生活保護のお金をもらってアパートに住めばいいって人もいるけど、福祉のお金もらって野宿をやめていった仲間が、次々に死んでいくのを見て知っていたんだ。もともと身寄りのない人ばかりだし、アパートに入るにしても貧困ビジネスっていうのかな、そういう悪い人にたかられて、高い家賃で住まわされたりして結局、孤独になってしまう。野宿はつらいけど、自由だし仲間もいた。だから人間って、暮らしていくためには食べ物と住まいも必要なんだけど、人とのつながりとか、生きがいも同じくらい必要なんだなと、死んでいく仲間を見ていてわかったんだ。福祉のお金を貰った人が早死にしていくのを見て、正直いって怖くなったんだよ。だから自分は、できるだけ福祉の世話にならずに生きていこうと思ったんだ」
2010年4月、全ての荷物を持って大阪から尾道まで歩き、そこから四国に渡って本格的な遍路生活をすることになる。
野宿には慣れていたこともあり、都会でのホームレス生活よりも、草遍路の生活はかえって安全で楽しいものになったという。
四国では地元の人が時には手を合わせ、自分に尊敬の念をもって接してくれる。釜ヶ崎でホームレスをしているとき、酔っ払いにからまれ蔑まれたのとは雲泥の差であった。
それでも幸月の跡を継ぎ、草遍路になろうと決意するまでには10年かかっている。
遍路の本質
まずはホームレス時代の2003年から6年かけて、四国遍路と並行して西国巡礼を回っていた。草遍路となってからも、遍路と並行して様々な巡礼の旅に出ている。
・2013年 半年かけて九州八十八ヵ所
・2014年 東北不動尊霊場
・2015年 北海道八十八ヵ所
・2016年 関東八十八ヵ所、坂東三十三観音
さらには、日本全国の一宮神社巡礼なども現在進行形で歩いている。日本全国の一宮巡礼とは、現在は廃れてしまったが、かつて「六十六部」と呼ばれた日本全国を巡礼した者たちに倣った伝統的な巡礼旅でもある。
その合間に四国遍路を挟んでいるのだが、普通に回るのではなく曼荼羅霊場、三十三観音霊場、三十六不動霊場なども交えるようになったので、純粋な四国八十八ヵ所の歩き遍路としては6回ほどしか回っていないが、日本各地に残る巡礼地を休みなく歩いているので、もはや本格的な修行僧だといっても過言ではないだろう。