「やる気」を引き出すために「待つ」のは間違い
親が情報検索を怠ったために何か大切な選択肢を見落としてしまったのではないかと心配する必要もない。
親が与えられなかった選択肢や教えられなかったことは、もしそれがその子にとって必要なことであれば、人生のどこかのタイミングで親以外の誰かが示してくれる。それがご縁だ。
子どものご縁を親がコントロールしようなどと考えることがおこがましい。そもそも子育てなんて、親だけでできるものではない。社会全体の関わりが必要だ。すべてを自分の責任だと思わなくていい。親が責任を抱え込みすぎると、子育てはいびつになる。ご縁を待つのも親の大切な役目である。
子育ての要諦は待つことだと聞いたことがあるひとも多いだろう。しかしそう言うと必ず「いつまで待てばいいんですか!?」という非難にも似た質問が飛んでくる。
でも親のその心理状態は、子どもからしてみたら全然待ってくれていない。口で言っていないだけで、表情、態度、普段の会話の端々から、「いつになったら本気を出すの?」「早くやる気を出しなさい!」「時間がなくなっちゃうじゃない……」「早く、早く」という非言語的なメッセージが溢れ出してしまっているのである。
子育てにおいて待つとは、「もう焦らない」と覚悟を決めることだ。たとえ待っている間に入試本番がやって来てしまっても、「それがこの子のスタイルなんだ」と腹をくくることだ。それがありのままを受け入れることでもある。
やる気を引き出すために待つのではない。ありのままを認めれば子どもが自らやり始めるということでもない。そこを理解していないと、待てば待つほど不安になり、いずれ限界点を超え、「いつまで待ってもやらないじゃない!」と大爆発を起こすことになる。そこまで待ったことすら水の泡となる。
隣の芝は青く見える。よそのうちの子どもを見て、「なぜあの子はあんなに自ら勉強するのだろう?」と羨ましく思うことがあるかもしれない。でもそういう子が必ずしもやる気にあふれているとも限らない。