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安寧を守るために後継者としての子どもをつくるのが当たり前の時代…それでも“上杉謙信”が子どもをもうけなかった“意外な理由”

『独身偉人伝』より #2

2021/11/23
note

「義の人」と呼ばれる理由

 これが本当に子供を成して上杉家の血筋を伝えようとしてのことなのか、上杉の養子としての形式を整えようとしたのかは分かりません。この件は、打ち続く造反と騒乱のために実現しませんでした。ただ、関東管領・上杉家は長尾家よりはるかに家格が高いので、その血筋継続を重んずるのが義の道と考えた可能性は大いにあります。

 長尾の家督は兄の子(没後は姉の子)に返すのが筋というのは、信義であっても長尾家内の「私事」です。しかし上杉家という名門の血筋を正しく保つのは、いわば「公事」。上杉を名乗ることになった謙信が、私事より公事を優先しなければならないと考えたとしても不思議はありません。

©iStock.com

 これは形式主義というより名分論といった方がいいと思います。ざっくりいうと、「名」には「正しいあり方」があって、名と実がきちんと一致しているのが美しく秩序立った状態だとする考えです。実際の行為は下克上だったにもかかわらず、謙信が「義の人」と呼ばれるのは、このように「形」を大切にしたからです。

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 そんな謙信でしたが、残念ながら没後に後継者争いが起きてしまいました。謙信は姉の子・景勝のほかにもう1人・上杉景虎という養子がおり(北条氏康の七男で謙信の姪の婿)、謙信没後に家督争いが起きてしまったのでした(御館の乱)。勝利した景勝は、積極的に謙信の顕彰に努めました。それは後継者としての正統性を確固たるものとする道筋でもあったのです。

【前編を読む】兼ね備えた才能と美貌と野心…それでも“生涯独身”だったココ・シャネルが晩年に抱いていた“意外な思い”

独身偉人伝(新潮新書)

長山靖生

新潮社

2021年10月18日 発売

安寧を守るために後継者としての子どもをつくるのが当たり前の時代…それでも“上杉謙信”が子どもをもうけなかった“意外な理由”

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