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「選手ファースト」で職員たちも忖度

 振り返ると、JGTOが「選手ファースト」を続けてきたことが、今回の問題につながっていると思えてならない。

 1999年2月、JGTOはJPGA(日本プロゴルフ協会)からトーナメント部門が独立して発足。当時は「内部分裂」「クーデター」とも報じられた。対立は守旧派のJPGA幹部と改革派の選手会という構図。選手会をまとめていたのは、トッププロの倉本昌弘と島田幸作管理委員長(初代JGTO理事長)で、独立の結果、男子プロゴルフ界の構造は大きく変わった。それまでは、JPGAが実施するプロテスト合格を義務としていたプロゴルファーの日本基準が変更され、個人の宣言でプロ転向できる「世界標準」が導入されるなどした。

 言い換えれば、JGTOは選手たちのための組織で、石川がそうであったように、歴代理事にも選手が名を連ねてきた。つまり、選手が一番大事。職員たちも選手の機嫌を損なわないように忖度し、さまざまなことに目をつむってきた。

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石川遼と渋野日向子

 例えば2003年、ある試合会場でのことだ。そこでは抽選に当たったファンと選手が一緒に写真を撮れるサービスが実施されていた。しかし、有名選手の1人はそれを無視してロッカー室へと向かった。自分のプレーに納得できず、腹を立てていたからだという。職員は選手を呼び止めようとしたが、声をかけることもできなかった。ファンはガッカリした様子だったが、その職員は選手を責めず、「私たちがちゃんと伝えきれていませんでした。申し訳ないです」と平謝りをした。

片山晋呉が招待客を激怒させたことも

 18年5月には、元賞金王の片山晋呉がプロアマ大会で招待客を激怒させる問題も起きた。国内メジャー大会の日本ゴルフツアー選手権前日に行われたプロアマ戦で、片山と一緒に回った招待客が、片山の言動に憤り、ラウンド中に帰ってしまったのだ。

 

 原因は、1ホール目のグリーン上で招待客がプレー中にもかかわらず、片山がパッティング練習をしたことだった。その後、片山は自らのバーディーパットを決めたが、ホールアウト後、また練習を始めた。招待客は「同伴アマチュアへの配慮が足りない」という趣旨の苦言を呈し、次のホールで自身のティーショットを打った後で「帰る」と言ってクラブハウスに引き揚げてしまった。

 事態を重く見たJGTOは、片山に対して、「制裁金30万円と厳重注意」の処分を科した。本人は記者会見でこう話した。

「20年間ずっと同じようなプロアマをしてきました。一度も教わったことはなかったので。見よう見まねでここまで来てしまった」

 つまり、片山の先輩たちも、プロアマで「おもてなし」より「自分の練習」を優先していたということになる。