予知能力をもつ中学教師が、荒事に長けた謎の二人組の助力を得て、テロ組織の犯行を未然に防ぐべく活躍する――と、かように伊坂幸太郎の新作『ペッパーズ・ゴースト』は筋をまとめられるが、小説は右から想像されるものとは大変に異なる。主人公の中学教師(生徒思いのとてもいい先生だ)の予知能力は、人の唾から「飛沫感染」する(何がだ?)と、当の人物の未来の体験が垣間見えるというもので、ESPの言葉にふさわしからざる、なにか非常に「とぼけた」印象を残す。テロ組織にしても、ある思想に突き動かされ過激な行動に走る集団、といえばそうなのだが、その思想というのがニーチェの「永劫回帰」。あんな難解な、悪くいえば、なんだかよく分からぬ思想でもってテロに突き進む人たちを設定するあたりも「とぼけた」感は深い。が、あらためて指摘するまでもなく、この全体に漂う「とぼけた」雰囲気こそが、デビュー以来の伊坂幸太郎の一番の魅力というべきであろう。
右の「とぼけた」感じとは、「物語」に対する作者の距離感、一種のアイロニーが生み出したものに他ならない。小説は「物語」と深い関係をもつが、「物語」そのものではない。むしろ「物語」が文字でもって綴られゆくなかで起こる「出来事」である、というと難し気だが、つまりは「物語」を素材とするならば、それを料理する作者の手捌きにこそ小説なるジャンルの魅力はある。「物語」を映像化する監督の手腕次第で優劣の決まる映画とそれは同然である。
「物語」は基本的に陳腐なものだ。多くの小説が、とりわけエンタメと呼ばれる小説の多くが、「物語」の力に引かれるに任せ、素材を「生」のまま提供して、結果、凡庸なテクストを生産してしまうのに対して、伊坂は意表を衝く趣向と文章の洗練でもって、小説の魅力を生み出すことに余念がない。
とりわけ面白いのは、アメショー、ロシアンブルと呼称される謎の猫好き二人組だ。かれらは冒頭、女子中学生が書いた小説の登場人物、つまり小説内小説中の人物として登場する。ところが話が進むうちに、小説内の「現実」に侵入して、「現実」内を主人公らとともに動き回り重要な役割を果たす。行動や性格は描かれても、素性来歴は一切かたられぬ、「虚構」の世界の住人でありながら、「現実」にも現れる存在であるかれらが、小説を大いに活性化する。
表題のペッパーズ・ゴーストとは、別舞台の役者や事物が映像トリックでもって本舞台に幽霊のように現れる劇場の仕組みらしいが、この比喩に示唆された虚構の二重性、テクストのメタフィクショナルな構成に違和を覚えさせない、というより、違和をむしろ読むことの愉しさへと変じるところに作者の企みと手腕はあり、本篇のなによりの読みどころとなるだろう。
いさかこうたろう/1971年千葉県生まれ。2004年『アヒルと鴨のコインロッカー』で吉川英治文学新人賞、08年『ゴールデンスランバー』で本屋大賞と山本周五郎賞、20年『逆ソクラテス』で柴田錬三郎賞。他の著書に『クジラアタマの王様』など。
おくいずみひかる/1956年生まれ。2014年『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞、18年『雪の階』で毎日出版文化賞、柴田錬三郎賞受賞。