若き官房長官と、彼を支える秘書を主人公にした小説『笑うマトリョーシカ』を上梓した早見和真さん。ぜひとも読んでほしいと早見さんが指名したのは、国際政治学者の三浦瑠麗さん。気鋭の作家と、現役政治家を間近で観察する学者が、「人間の欲望」について熱く語り合った。(全2回の1回目、#2へ続く

早見和真さん(左)と三浦瑠麗さん(右)

早見 このたびは拙著『笑うマトリョーシカ』の帯に、素敵な推薦コメントをいただきまして、有難うございました。

三浦 政治評論をやってきた者として、この小説をどう読むのか、というオファーをいただいて、正直緊張しました。

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早見 実を言うと、三浦さんに依頼したのは、違う理由なんです。政治家と対峙し評論されている部分よりも、きっと幼いころから値踏みするかのような他者の視線にさらされ続けてきたであろう三浦さんにこそ、この本を読んでほしかったんです。

早見和真さん

三浦 えっ。意外ですが、ちょっと嬉しい気もします。

「やばいのが、でてきちゃったな」

早見 三浦さんは、幼いころから周囲の目を意識することはありましたか?

三浦 もともと自意識が過剰なところもあるんです。人前で咀嚼をして食事をすることが恥である、と思っていましたから。

『笑うマトリョーシカ』(文藝春秋)

早見 『孤独の意味も、女であることの味わいも』(新潮社)では、裸になって、無我夢中で書いている自分自身を、冷静に観察している三浦さんを感じながら読みました。執筆中は、書いたものと、自分自身との距離をコントロールできていたのですか?

三浦 どうでしょう。わたしは比較的自分と距離をとる人間ですが、それでも時間が経ったからこそ、ああいう目線で書けたのではないでしょうか。あれは10日間くらいで書き上げたんですが、「やばいのが、でてきちゃったな」と思いました。いわば、書かざるを得なかった本ですね。

早見 あの本を読んで、傷つく人もいると感じていましたか?

三浦 ええ、思いました。だからかなり配慮はして書いたつもりではあります。それでも傷つけてしまった人がいるでしょう。きょうだいは、「瑠麗ちゃんはそうだよね」という感じだったらしく。誰にも一切話してこなかったことを、いきなりぽんと書いたら、そうなりますかね。

早見 ご自身への向き合い方は、まさに純文学だと思いました。