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2歳にならない娘を遺し、36歳の若さで旅立った伝説の“スノーボーダー” 彼の死が多くの人の人生を変えたワケ

『スノーボードを生んだ男 ジェイク・バートンの一生』より#2

2021/11/27
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「私がベグリンガーに無線で『危険を感じるので我々はルートを変えません』とさえ言えていれば、命を落とさなくて済んだ人たちがいるかもしれない。ずっと後悔の念に苛まれています」

自分の判断に間違いはなかった

 なぜ雪崩が起きたのか? 

 天候のせいなのか、人為的なミスがあったのか、その答えは誰にも分からない。捜査に当たったカナダ、ブリティッシュコロンビア州当局は、雪崩の専門家たちの分析も取り入れて検証したが、検死官はクレイグたちの死因を「雪に埋まったことによる窒息から来る事故死」と結論づけた。誰も罪に問われることはなかった。グループの先頭にいたベグリンガーは、自分より下で雪崩が発生したので無事だった。

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 雪崩の直後にすぐに無線で救助ヘリを呼び、複数のヘリコプターが駆けつけて生存者の捜索や救出を行ったが、ベグリンガー本人もそのうちの一機に乗り込み、雪が最初に崩れ落ちた山頂付近の境界線の辺りを低空飛行するように頼んだ。彼もその答えを探していたのだ。ベグリンガーは、もちろんその日のツアーの前に、斜面の雪質を確かめていた。ツアーのリーダーだった彼は、メディアの批判の矢面に立たされたが、

「雪はとても硬くて雪崩の危険性はなかった。自分の判断に間違いはなかった」

 と主張した。

 史上最高のスノーボーダーと言われたクレイグ・ケリーは、2歳にならない娘オリビアを遺して、36歳の若さで旅立った。このツアーに出る前に撮られたクレイグのインタビュー映像が、ドキュメンタリー映画『Let it Ride』の中に収められている。その中でクレイグは「これまでで一番怖かった出来事は?」と聞かれると、しばらく過去に思いを巡らせた後、「そんなに怖い出来事には遭遇していないよ」と答えた。そしてその澄んだ瞳で遠くを見つめてから続けた。

「でも今一番怖いのは死ぬことだ。最近、真剣に考えることがあるんだ。そして、僕の信条は『今この瞬間を生きること』なんだ」

 なぜ? と聞かれて、最後にこう答えた。

「いくら先のことを考えたって、そこまで生きられないかもしれないからね」

『ミステリーエアー』でハーフパイプを滑るクレイグ・ケリー(1991) ©Hubert Schriebl

ひとつの死が与えた衝撃

 クレイグの死にスノーボード業界全体が喪に服した。ドナは言う。

「ジェイクはショックに打ちのめされていたけど、クレイグがスノーボードというスポーツに与えた貢献、遺したレガシーが人々にちゃんと理解してもらえるように、メディアを奔走して世界に語りかけていたわ」

 ジェイクは、3大ネットワークのCBSの朝のニュース番組の中で、バーモントから涙を堪こらえながら生中継で出演し全米に語りかけた。

「スノーボードにとって大切な人を失いました。彼の滑りはフリースタイルの世界に革命を起こしました。競技をしなくてもスノーボードの世界で生きていけることを自ら示し、本当のスノーボードとは何であるかを教えてくれました。彼が自分の大好きなことをしている時に亡くなったのが唯一の救いです。でも彼の性格から一緒に亡くなった人たちのことを最後は悲しんでいたと思います」

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