「とても寒い朝だった。その日はちょうどストウで友達とアイスホッケーをしていたんだ。そんなに頻繁にするわけじゃないんで、ちゃんとした試合じゃないんだけど、その日はたまたまパスしたりシュートをして遊んでたんだ。そこにドナが急にやってきた。彼女がアイスホッケーのリンクに来るなんて滅多にあることじゃないから、何か重大なことが起こったんだと悟ったよ」
ドナはリンクの脇のベンチまで駆け寄り、ジェイクの名前を呼んだ。ジェイクはホッケーのスティックを持ったままドナのところにスケートで近寄り、悲痛に歪むドナの口からクレイグの死を告げられた。
本当に運が悪かったとしか言いようがない
「信じられなかったよ。ショックでしばらく氷の上に立ち尽くしていた。だって、確かにスノーボーダーの中には、命知らずの冒険好きもいる。でもクレイグは全然そんなタイプじゃなかったんだ。とても注意深くて、いつも危険を計算していた。しかもカナダの公認の山岳ガイドになろうとしてたんだ。それは世界でも最もレベルの高い資格なんだ。クレイグたちを引率していたガイドは熟練で、過去にもその斜面を何度も安全に登っていると聞いたからね。本当に運が悪かったとしか言いようがないよ」
グループを率いていたルーディ・ベグリンガーは、本場スイスで訓練を受けた経験豊富な山岳ガイドで、カナダに移住したあとカナディアンロッキーを拠点にバックカントリーのツアーを行ってきた。このセルカーク山脈で働いていただけでなく、ヘリコプターでしかアクセスできない標高1941メートルの山中に自ら小屋を建て、そこに家族と住み込んで生活している筋金入りだ。今回ツアーで登った斜面は自分の庭みたいなもので、18年間そこでガイドを続けてきたが、一度も事故を起こしたことも雪崩に遭遇したこともなかった。
「NO」と言うことが出来なかった後悔の念
カナダの山岳ガイドの世界では知らない人がいないほどのベグリンガーだが、その厳しい指導方法でも有名で、参加するツアー客をいつも限界まで追い込むことで知られている。それだけでなく、20年の経験があるアシスタントガイドのケン・ワイリーさえも、いつまでも新人扱いして罵倒した。実はワイリーは今回のツアーを最後に辞表を出すつもりだったと回顧録で告白している。
「結局、辞表を出す前にあの事故が起きてしまいました。あの日、あの時、あの斜面の端で、私は究極の葛藤をしていました。私は自分のことを雪山での行動力においては勇気のある人間だと思っていました。しかし、あのように危険が迫った状況では、上司に対してもNOと言える社会的な勇気が必要だったんです」
カナダのバックカントリーのパイオニアと言われ、その山の地形を知り尽くし、自らトレイルを開拓するベグリンガー。ツアー客から神のように信頼されるその上司の指令に、ワイリーは「NO」と言うことが出来なかった。あれからどれだけの歳月が過ぎても、あの事故のことを思い出さない日は一日たりともないと言う。