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2歳にならない娘を遺し、36歳の若さで旅立った伝説の“スノーボーダー” 彼の死が多くの人の人生を変えたワケ

『スノーボードを生んだ男 ジェイク・バートンの一生』より#2

2021/11/27

 子供用のソリから開発した板でスノーボードという新しいスポーツを生み出し、自身のブランドBURTONと共にスノーボードを発展させてきたBURTONスノーボード創始者のジェイク・バートン。2019年に65歳で生涯を閉じるまで、スノーボードの普及、発展に大きく寄与した。

 その比類なるパイオニア精神、遺した偉大な功績、そして彼が真っ白な新雪の上に描いた夢の軌跡は、どんなものだったのか。没後2年となる今年11月、ライターの福原顕志氏が、1年に渡る密着取材からノンフィクション『スノーボードを生んだ男 ジェイク・バートンの一生』を上梓。同書より一部抜粋して、スノーボード界に衝撃を与えたレジェンドの死を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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【虫の知らせ】

 雪崩(2003年1月20日、カナダ・ブリティッシュコロンビア州のバックカントリーで起きた雪崩)のニュースはすぐに世界を駆け抜けた。しかし、生存者や犠牲者などの詳細はすぐには伝わらなかった。クレイグ(いくつもの世界大会で優勝した伝説のプロスノーボーダー)の父は目に涙を浮かべながら、その日のことを振り返る。

「夕方6時くらいだったと思いますが、クレイグの彼女のサビーナから電話で、雪崩が起きた場所の付近にクレイグがいたことを知りました。でもサビーナはその時はまだクレイグが無事かどうかも知りませんでした」

 情報は錯綜し、クレイグを知る多くの人は、きっとクレイグは生きているはずだと信じていた。クレイグが働くボルドフェイスロッジのオーナー、ジェフ・ペンシエロもその一人だった。

クレイグ・ケリー ©Vianney Tisseau

電話が鳴った瞬間に、クレイグの死を確信した

「私のところに問い合わせの電話がたくさんかかってきました。私は『クレイグはきっと今頃生存者の救助活動をしているはずだ』と答えました。雪の下の生存者を探して掘り出しているに違いないし、CPR(心肺蘇生)に忙しいのかもしれない。クレイグは山岳ガイドとしてそういう訓練を受けているのだから。自分の生存を知らせるために、家族に電話をするなんてことは、山岳ガイドのすることじゃないんです」

 夜明けまでには全ての生存者と犠牲者が判明した。

 クレイグの良き友であったキース・ウォレスは、翌朝に電話で起こされた。

「私はカナディアンロッキーから5時間南のアイダホ州に住んでいたので、その前の晩に風の便りで、セルカーク山脈の辺りで大きな雪崩があったらしいとは聞いていました。でも詳しい場所も分からなかったし、誰が巻き添えになったのかも知りませんでした。そして、翌朝5時半頃に電話が鳴った瞬間に、なぜか分かりませんがクレイグの死を確信しました。虫の知らせとでも言うんですかね。電話してきた友人が『おい、聞いたか?』と言った時『何を?』とも聞き返しませんでした。電話を取る前にもう分かったんです」

何か重大なことが起こったんだ

 同じ頃、東海岸のバーモントにもそのニュースは届いた。ジェイクの妻ドナは自宅でその悲報を受けた。

「あの時のことは、いつまで経っても鮮明に憶えてるの。どこで何をしていたかをね。クレイグの親友のマーク・ハインガードナーから電話を受けて、すぐにジェイクに知らせなきゃと思って家を飛び出したの」

 ジェイクも同じくその時のことを鮮明に憶えている。

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