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 幼少期の湯浅さんの家庭環境は良かったとはいいがたい。彼女は親からの愛情を十分に感じることができず、怯えながら暮らしていたようだ。

「ネグレクトや虐待も受けました。小学生の頃、そろばんでローラースケートをして遊んでいたのですが、冷蔵庫の下にそろばんが入って激怒されたときには、帯締めで柱に縛り付けられたこともあります。トイレに行かせてもらえずに漏らしたり、朝、学校に行く時間は親は常に寝ていて、物音を立てて起こしてしまうと暴言を言われたりしました」

500円玉をもらって“賭けマージャン不正”に加担

 両親は夫婦揃ってギャンブルが好きだった。

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「『羽根物』と呼ばれるパチンコ機種が好きだった母に『(玉が)出る台探してきなさいよ』と言われ、定規をもって釘がまっすぐに並んでいる台を探させられていました。釘がまっすぐだと玉が入りやすいので、勝ちやすいんです。当時はパチンコ屋に子供も入れたんですよ。子供だからこそ、店員さんも定規で見定めるのを許していたんですね。

 雀荘にもついていきました。卓を囲む大人たちから『あのおじちゃんのところに亀さん(イーピン牌)がいるか見てきて』と言われ、500円玉をもらっては不正に加担していました。周囲にだらしない大人がたくさんいたので、私もギャンブルに依存していく素地ができてしまったんですよね」

過去の湯浅さん

伝言ダイヤルで「7万円と5万円の男性」の愛人に

 地元の中学を卒業して、県立の商業高校に入学したのは1990年代半ばだ。当時はアムラーが街中を覆い尽くす安室奈美恵の全盛期。湯浅さんも流行のメイクやファッションに熱を上げた。

「安室ちゃんと同じ口紅やアイシャドウが欲しくて、万引きをしました。でも化粧品に遊びにと、いくらお金があっても足りないんですよ。だから援交をしました。友人はテレクラを使っていましたが、私は伝言ダイヤル。『この日に遊びたい』という男性の声が録音されていて、それに対する返事を残すんです。月7万円を払ってくれる男性と5万円の男性、2人と定期的に会っていました」

 ほどなくして始めたのは「キャバクラのビラ配り」だ。大宮の繁華街・南銀通りで、キャバクラの広告を道行く男性に配っていたという。

21歳の頃

「さすがに制服ではできないので、ジャージの上を着て、スカートの下にまたジャージ。そんな格好でタバコを吸っているものだから、すぐに通報されて。知り合ったヤクザの名刺とかをもっているものだから、警察からはビラ配りよりもそっちをすごく怒られたりもしました。

 とにかく当時は大人をなめていて、そして金がすべてだと思っていたんです」

 ビラ配りのバイトに、「7万円と5万円の愛人」を抱え、高校生にしては分不相応な金額が懐に入ってきていたわけだ。そしてその多額の金が、湯浅さんをさらなる非行へと走らせた。