「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」「ダメ。ゼッタイ。」といった、有名なスローガンを使った薬物乱用防止キャンペーンがある。その影響もあってか、日本は世界でも違法薬物使用人口が飛びぬけて少ない国のひとつとなっている。これは、世界に誇れる日本の素晴らしさであると言ってよいだろう。
しかし、「一方で大きな罪もある」と語るのが、『あなたもきっと依存症 「快と不安」の病』(文春新書)を上梓した原田隆之氏だ。薬物に対する恐怖心や嫌悪感を抱くことによる“罪”とはいったいどのようなものか。ここでは同書の一部を引用し、薬物依存における知られざる真実を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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噓:違法薬物を使うと誰でも依存症になる
真実:依存症は薬物と環境との相互作用であり、依存症になるのはほんの一部である
ベトナム戦争とヘロイン依存症
あらゆる違法薬物のなかで、依存性や害が最も大きな薬物はヘロインである。ヘロインはまた、過剰摂取による死亡という例が世界では大問題となっている。さらに、離脱症状が激烈なことでも知られている。映画などで薬が切れた薬物依存症者が七転八倒する様子が描かれることがあるが、覚醒剤などではそのようなことは起こらない。あれはヘロイン離脱の描写である。
このようなヘロインであるが、ベトナム戦争では、戦場の恐怖から逃れるために、何万人ものアメリカ軍兵士がヘロインを日常的に使用したと言われている。インドシナ半島の北部山岳地帯は、かつて「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれ、世界最大のケシの産地であり、ヘロインの供給源でもあった。
戦争が終わると、兵士たちは、次々と故郷に帰って行ったわけだが、その後アメリカはヘロイン依存症者であふれかえったかというと、事実はそうでない。戦場でヘロインを使っていた兵士たちの多くは、平和な故郷に戻り、家族に囲まれた生活を取り戻すと、ヘロインのことなどすっかり忘れたように元の生活に戻っていったのである。引き続きヘロイン依存症に悩まされたのは、全体の12%ほどしかいなかった。
このことは、多くの依存症専門家を驚かせた。あれだけ依存性の強いヘロインを常用していた人々が、何もなかったかのようにヘロイン使用を断ち切れるとは、常識からして考えられないことだったからだ。
しかし、その理由の一端を解明してくれる有名な実験がある。
ラットパーク
ラットパークと呼ばれるその実験では、水が入った2本のボトルを備えつけた檻の中に、ラットを1匹入れる。一方のボトルは普通の水であるが、もう1本にはヘロインと類似した薬物であるモルヒネを溶かしてある。最初ラットは、どちらのボトルからも水を飲むが、すぐにモルヒネ入りの水を選んで飲むようになり、たちまち依存症になってしまった。
今度は同じように2種類のボトルを用意し、それをもっと大きな檻に取りつける。しかし、さっきと違うのは檻の大きさだけではない。檻の中にはほかに、たくさんの遊具を用意し、ここに20匹のラットを入れる。すると何が起こったか。
ラットはモルヒネには見向きもせず、餌を食べたり、遊んだり、メスのラットをめぐって喧嘩をしたり、交尾をしたり、こうした仲間との活動に勤しんだ。なかにはモルヒネ入りの水を飲んだラットもいる。しかし、依存症にはならなかった。驚くべきことに、依存症になったラットをこの檻に入れると、このラットも仲間との活動や遊びなどに熱中し、モルヒネに見向きもしなくなった。