昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/11/29

小さな駅舎にバスを待つ長い行列

 ともかく、そうしてたどり着いた養老渓谷駅で他のたくさんのお客と一緒に降りて、ごった返すホームからこれまたごった返す小さな駅舎、そして駅前広場に出る。駅前からは養老渓谷の見どころのひとつである粟又の滝までのバスが出ていて、そのバスに乗るお客で長い列もできている。さらに駅前広場の一角には小さな出店もあり、観光地の駅らしい賑わいぶりだ。

 
 
 
 

 それでも少し駅前をうろうろしていたらお客たちはだんだんと少なくなっていった。別に駅に何があるのかを見に来ているわけではなくて、お目当ては養老渓谷なのだからいつまでも駅に留まっている理由などないのだろう。小さな木造駅舎が国の登録有形文化財に登録されている、などというのは多くの人の興味の範囲には含まれていない。

 駅前にはおおよそ線路と並行するように県道81号が通っている。県道を渡るとちょっと広い駐車場があって、ほかは観光客を当て込んだ飲食店や民宿などが連なっている。意外な何かを発見してちょっと探ってみようかと思うようなところも特に見つからない。まさしく、養老渓谷駅は徹頭徹尾観光地の駅なのである。

開業は1928年 当時の名前は…

 ここでいつものように歴史を振り返ってみることにしよう。

 養老渓谷駅が開業したのは1928年のことだ。1925年に五井~里見間で開通した小湊鐵道が少しずつ延伸し、上総中野駅まで開通したときに開業した。小湊鐵道そのものは、房総半島を横断して安房小湊駅まで結ぶ計画を持っていたが、上総中野駅で当時国鉄の木原線(現在のいすみ鉄道)と接続することになったので沙汰止みとなり、1928年までに開業した五井~上総中野間が小湊鐵道の鉄道路線としてはすべてである。

 この1928年の駅開業時、駅名は養老渓谷ではなく朝生原駅と名乗っていた。当時は観光のための駅と言うよりは、どちらかというと地元の人のための駅だったのだろう。養老渓谷駅への改称は戦後になって1954年のことである。

 以降、養老渓谷駅は渓谷観光の拠点となっていったが、おそらく養老渓谷が本格的に人気になったのはアクアラインが開通してからなのではないかと思う。アクアラインならば都心から簡単に日帰りできるが小湊鐵道を使う、つまり鉄道経由だとちとキツい。

 実際、養老渓谷の町を歩いていても、駅前の県道には東京方面のナンバーを貼り付けたクルマが盛んに走っていた。やっぱり、いくら首都圏とは言っても観光となると鉄道よりもクルマ優位。鉄道にとっては厳しい時代であることは変わりないのである。