なぜ“ポツンと舗装路”は生まれてしまった?
ことの発端は、1972年に策定された大規模林業圏開発計画だった。全国に7つの圏域を設けて林業開発を行うというもので、その基幹的事業として進められたのが幹線林道の整備だった。今回の岐阜県・富山県に跨る林道と同じかそれ以上の規模のものを、全国に7箇所も整備する計画だったというから驚きだ。幅員7m、全線2車線の舗装路として、2200キロもの幹線林道を整備するという国家的なプロジェクトだ。
当初、森林開発公団が幹線林道の建設を行っていたが、2003年に公団が解体されると、独立行政法人緑資源機構が発足した。予算は潤沢にあったものの、用地取得や山間部の工事が難航し、思うように計画が進まなかったようだ。そのため計画に大幅な遅れが生じ、造れる所からとにかく造りはじめてしまった結果、今回のようなポツンと舗装路が誕生したのではないかと考えられる。
2007年、緑資源機構の談合事件が発覚したことで、機構は廃止された。そこで事業の実施主体は国から都道府県に移管されたが、そんな大規模な幹線林道の必要性や費用対効果を疑問視する声は以前から根強かった。さらには予算の問題もあり、移管後は工事がほとんど進められていないのが現状だ。
区間の多くが山間部ということもあり、年々自然災害によって道は崩壊していくし、老朽化も進む。当初、80年はかかると言われていた林道計画だったが、今となっては永遠に完成しそうにない――。
もう一箇所、見つけてしまった!
こうした事実を知ったうえで、再び航空写真で幹線林道を追っていくと、岐阜県内にもう一箇所、ポツンと舗装路があるのを見つけてしまった。もちろん、見つけてしまったら行くしかない。
下呂市内で国道から林道に入ると、そこには「公団幹線林道 八幡・高山線」の文字があった。先に訪れた山県市は緑資源機構時代の舗装路だったが、こちらのほうが歴史は古く、公団時代に造られた道らしい。
2車線の舗装路を進んでいくと、突然、路面は荒れ果てた状態となる。両サイドから草木が伸び、センターライン上を走るしかなくなった。だが、荒れた道も長くは続かず、すぐに行き止まりになってしまった。