金子 そうそう。1986年くらいだったかな。バブルのちょい前くらいで、板前のなり手が全然いなくて、みんなフレンチやイタリアンに行っちゃうようになっていった時代だったんですよ。だから僕は「若い人たちに和食の世界に入ってきてほしい」と思って、和食の職人の生きざまを漫画で伝えてくれる『味いち』に協力するようになったんです。築地市場で顔を合わせる他の料亭の親方衆にも「今、和食の世界は従業員がどこにもいねえんだから。絶対に盛り上げてよ」なんて励まされましたね。
——たしかにバブルの頃は「イタ飯」や「グルメ」という言葉が流行っていました。
金子 ところが連載が始まってすぐに、うちに来た小学館の役員の方が、まさか僕が『味いち』に関わっているとは知らずにこんなこと言ったんです。「ビッグコミック群に料理漫画は2つはいらない。もう『美味しんぼ』をやってるんだから、『味いち』はすぐにやめろと編集長に言ってきた」って。
——それを聞いて、金子さんは?
金子 そりゃあ、「ええっ!?」ってな感じですよ。こりゃあマズいと必死にその場で考えて、パッと「『美味しんぼ』というのは料理を競い合う漫画ですよね。対して『味いち』のような和やかな調理場の漫画があると板前のなり手が増えてくれるかもしれないですよね? それは僕ら職人からすると有り難いんですが……」と言ったんです。
――その役員の方はなんて答えたんですか。
金子 「そういう見方もあるのか。編集長に謝らなきゃな」と納得して、連載ストップを撤回してくれました。それから35年も続いてるわけですから、すごいですよねぇ……!
——一番好きな『味いち』のキャラクターは?
金子 やっぱりボンさんですかねえ。いい味を出してますよね? 僕は1999年に原作のあべ先生がお亡くなりになったタイミングで一度離れたんですけど、今の『継ぎ味』の前のシリーズから、再びお手伝いするようになったんです。
市場も海も食材も人間関係そのものも変わった
——今の『継ぎ味』が始まる直前に、築地市場も豊洲に移転しました。
金子 豊洲は味気がなくなって、まるでハーモニカの中を歩いているみたいですよ。整然としてスカスカしてて。本当に味気なくなってしまいましたね……。
――他にどんな変化がありましたか。
金子 築地には、親方衆がお茶を飲みながら情報交換する場所があったんですけど、豊洲ではそれもなくなってしまいました。だいたい、今の一流料亭は卸屋さんといって店に魚を届けてくれる業者を利用するようになったから、あまり市場には来なくなってるんです。僕は自分の目で買いたいから、まだ市場に行ってますけどね。
——縦も横もつながりが希薄になりつつあるんですね。